2021年の小学生「将来なりたい職業ランキング」(日本FP協会発表)が先月21日に発表され、男子の1位はまたしても「サッカー選手・監督」となった。そんな折、世間から見れば、羨望(せんぼう)のまなざしを向けられるJリーガーという職を、自ら降りた男性に会った。
J2徳島ヴォルティスのDFだった井筒陸也さん、28歳。今は日本フットボールリーグ(JFL)に所属するクリアソン新宿において、「ブランド戦略部PR・デジタル戦略室長」という肩書を持つビジネスパーソンだ。
■「敗北のスポーツ学」出版
井筒さんは18年のオフ、契約更新のオファーを断り、3シーズン所属した徳島を退団した。東京に拠点を移し、クリアソン新宿で仕事をしながらサッカーに取り組む生活にシフトチェンジ。3年目の昨シーズンは主将で不動のセンターバックとして関東リーグを制し、全国地域サッカーチャピオンズリーグにも優勝した。だがJFL昇格を決めると、今度はすっぱりと現役からも引退した。
なぜ? まだまだできるのに?
「僕自身、(サッカーを)やめられずにここまで来た感じがあるんですよ。その山から降りたんですけど。プロの時も辞めたいと思っているのに、辞められないという矛盾している感じ。これは何だろうと。高校の時とか、大学の時も辞めようと思ったんですけど続けている。これはちょっといい感じのところまで登ってきた山に、執着している気持ちがどこかにあると思っていました」
そう話す井筒さんは、ことしの2月に「敗北のスポーツ学」(footballista)という本を出版した。「セカンドキャリアに苦悩するアスリートの構造的問題と解決策」をうたい、自らの経験や価値観に基づき論を展開する。気になっていた一冊だったがようやく手にし、その内容に圧倒された。
「サッカー界の産業廃棄物として」という序章に始まる著書には、従来の「夢をかなえたサッカー少年」的なストーリーはない。むしろ一般的なサッカー選手の価値観とは大きく異なる内容であり、何よりその思考の深さにひかれた。
まるで、どこかの大学教授が書いたような社会学書である。例えば、なぜサッカーに執着してしまうのか? について、行動経済学から「サンクコストバイアス(埋没費用効果)」「ローカルマキシマム(局所最適解)」という言葉を使って説明する。
これがサッカー選手の書いたものなのか? 子どもの時から大の読書好き。学生時代から投稿サービス「note」に文章をしたため、それを形にした。読了後、一気に興味がわいて今回の取材に至った。
■J2徳島3年目でレギュラーに定着
経歴を簡単に紹介すると、大阪府出身。和歌山・初芝橋本高で全国選手権に出場。進学した関西学院大でも主将を務め、大学史上初の4冠を達成した。16年に徳島へ入団。2年目から出場機会が増え、3年目でレギュラーに定着した。J2通算54試合出場で2得点。
サッカーに執着するのでなく、どこか自分には違う可能性があると思っていた?
そう問いかけると、「むちゃくちゃありますね。現役引退したのも、まさにそういうところです。仕事にチャレンジしたかった」。
著書では「Jリーガーは夢を叶えたのか?」と提起している。少年時代からサッカーに打ち込み、あきらめずに努力を積み重ねたからこそプロになれたという啓発的ストーリーが世の中にはあふれている。実際にプロになれるのは、ほんのわずかでしかないのだが。そこで金科玉条のごとくスポーツの世界で使われる「努力は必ず報われる」の言葉について、どう思っているのだろうか。
「努力は報われるんですけど、世にブレークするとか言うのは別の話。サッカー選手でも努力したら、した分だけうまくなるのは間違いない。ただJリーガーになれるというのは別で、そこは運の要素が強い。自分の技能が上達したとか、指導者はそっち側に目を向ける指導をした方がいいと思いますが、結局『ブレーク基準』になっています」
■「結果は大事だがすべてでない」
最近、高校の強豪サッカー部による指導者の暴力が明るみになった。指導の歪みが顕在化されたものだが、その背景には必ず結果至上主義が見えてくる。全国大会に出たとか、プロを何人出したとか。社会を知らずにサッカーだけに打ち込むあまり、自然と評価軸はそちらに傾きがちだ。
実際に高校3年でインターハイと全国選手権に出場した井筒さんは、「それよりサッカー部で3年間楽しかったですと言うヤツの人数の方が、よっぽど重要だと思います」と言う。
大学時代は2度の日本一を経験するなど結果を出したが、図らずも、勝利しても幸せな気分にはなれなかったという。「結果は大事だがすべてではない」と確信したからこそ、こう続けた。
「例えば、高校サッカーで全国選手権に出られなければ『何のためにやってきたの?』みたいな。選手権とか、スポーツとかが、それ単体で祭り上げられすぎている。もっと3年間のスポーツを通じて体験したこと全体で価値あるものになるのに、選手権に出る、出ないみたいなところを切り取って、ここが重要なんですみたいな。そういう感じにすると、本当に大事な残り99%がないがしろにされる。生徒が絶対に出たいというのは自然なことですけど、指導者が『そうじゃない、おまえらの人生はもっと長いんだから』って言えるものであってほしい」
■「サンクコストバイアス」の言葉
小学生年代からサッカーという山を懸命に登り出す。どんどん登れば登るほど、途中から違う山を目指し、降りることが難しくなる。そこには、前述した「サンクコストバイアス」という言葉がある。
これまで使った時間、費用。継続してきたものを断念した瞬間に、その取り戻せない損失が確定してしまう。それゆえに「ここまでしてきたのだから」と合理的な判断ができなくなることをいう。選手、指導者のみならず、保護者も陥りやすいものだろう。
「中学時代に地区で有名だったりすると、サッカーをやめない。周りの期待もそう。自分のアイデンティティーの形成の時期にサッカーが紐付いてしまうと、サッカーをやめること、イコール死みたいな。そういう狭さで生きている。僕はうまくなかったので、いつでもサッカーをやめてやろうというのがあった。サッカーといい距離感だったと思います」
その山が最適解であれば言うことはない。ただ、自分にとって小さい山だった場合、降りるに降りられず「遭難する」こともあるという。だからこそ、キャリアの初期にランダム性を取り入れ、さまざまな分野での可能性を探り、自分にとっての「高い山」、本当の最適解が見つけることが大事なのだと説く。
■読書がプレーにも組織にも生きる
少年期からの読書が、今にいたるキャリア形成に影響を及ぼしている。サッカーという競技についても、読書は有効に働くのだろうか。そう問うと「めっちゃありますね」と言い、身ぶり手ぶりで説明した。
「サッカーってカオスで何のフレームもない状態で、その場その場のインスピレーションでやっている面がすごく大きい。けれど、例えばビジネス書を読むと、販売までに、調達があって、生産があって、物流があって…というフローがあり、それを整理するフレームがある。それはサッカーにも当てはまると思っていて、パスが来て、トラップして、またパスを出す、みたいな。こういう思考のフレームワークみたいなものが増えたし、プレーでもそうでした」
また、当時在籍した徳島を率いたリカルド・ロドリゲス監督(現浦和レッズ)を知る上でも参考になったという。
「言語化するのが難しいサッカーの世界が、本を読むことでクリアになった。自分の本にも書きましたが、例えば『木を見る西洋人、森を見る東洋人』という西洋人と東洋人の世界観の違いを分析した本があります。西洋人と東洋人というフレームを手に入れたことで、自分とリカルドのコミュニケーションエラーの原因を理解し、解決策を考えることができた。本から知識を得て、世界をちゃんと分解して捉えていくことは、プレーにおいても、組織においても役立つなと思いました」
監督の信頼を得たことでレギュラーとなり、チームに欠かせない存在となることができた。
現在はクリアソン新宿で広報に加え、顧客行動を分析するマーケティング業務を行う。そこにも読書で得た知識が息づいている。
「クリアソンの場合は世界一を目指すというところもあります。サッカーのカテゴリーだけじゃなく、会社を大きくしていきたい。ベンチャー企業的なスタートアップ的なマインドもある。世界一を目指すって教科書がない状態です。だからゼロから発想してやらないといけない部分が多いんですけど、そういう時にこれまで読んできた本の情報がつながっていく」
■サッカーを使って社会に価値もたらす
小学生が憧れる「サッカー選手」をやめ、望んで選択した職業。充実感はありますか?
そう問うと「ありますね。選手の時も充実感はありましたけど、今の方があります」と笑った。
拠点を置くのは東京・新宿区。その巨大ターミナル新宿駅は、1日350万人を超えるギネス世界一にも認定される乗降客を誇る。ヒト、モノが集まり、文化や多様性に富む新宿という街が大好きなのだという。
「僕たちはサッカーをリスペクトしながらも、サッカーをどういうところに使えるかというところにフォーカスしています。結果で世界一はもちろんですけど、今のサッカーファンがレアル・マドリードに期待する世界一は、世界で一番サッカーが強いという文脈でしかない。そうじゃなくて、社会に対してとか、新宿に対して価値を『世界一』発揮できるみたいな。そっち側も含めて考えています」
「山」を降り、サッカースタジアムにあったフィールドは今、社会へと広がった。次の山は途轍もなく大きい。ただその分、かなえたい夢もまた大きくなった。
井筒さんの挑戦は果てしない。【佐藤隆志】