過密日程による過酷な連戦が続くFC東京。12日の第16節アウェー・ヴィッセル神戸戦で、小さいかもしれないが、確かな1歩を刻んだ選手がいる。MF平川怜(20)。今季、J2鹿児島ユナイテッドFCへの期限付き移籍から復帰。神戸戦で後半ロスタイムからプレーした約1分間が、19年5月の磐田戦以来となるJ1の舞台となった。試合後は「練習から手応えを感じているし、調子もいい。開幕戦では出場できなかったけど、今のほうがチームに貢献できる感覚がある」と語った。

17年11月。当時17歳で、1学年下のMF久保建英(ビリャレアル)と同じタイミングでプロになった。会見では、2人でがっちりと手を組んで写真に納まった。同年のU-17(17歳以下)ワールドカップ(W杯)インド大会では同日本代表としても共闘。広い視野、速い状況判断から繰り出す高精度のパスを武器に、久保と東京コンビによるホットラインで決勝トーナメントに進んだ。下部組織出身のたたき上げで、大きな期待を背負っていた。

待っていたプロでの道は対照的だった。久保は18年こそ横浜へレンタル移籍したものの、昨季はキャンプから成長をアピールし開幕スタメンに入った。一方で平川は久保と同時期の17年11月にJ1デビューも、直後に右足第5中足骨基部を骨折。波に乗りかけていたところで全治約4カ月の大けがを負った。翌18年シーズンの開幕に出遅れたところから、存在感を示せないまま。19年6月に久保のスペイン1部レアル・マドリード完全移籍が発表された翌7月、鹿児島へ期限付き移籍した。

シーズン途中で加入した鹿児島で7試合無得点。中盤の選手としてプレーぶりが評価され復帰も、数字には満足できなかった。長谷川監督は平川について「悔しい思いを1番持っている若手」と話した。常に久保と比較され、より能力が高いと評価されることもあった。にもかかわらず、かたやスペインでプレーし、自分は試合に出られないままJ2に出場機会を求めた。「我慢ができるようになって、大人になってきた。チャンスがあればいつでも彼を、と思って見てきた」と指揮官。持つ能力の高さは誰もが認めている。

平川は率直に話す。「思い描いていたとおりにキャリアは進んでない」。焦る時期もあったが、鹿児島でのシーズンを通して周囲を気にしすぎる自分がいることに気づいた。「試合に出る、出ないは自分ではコントロールできない。自分が変えられる部分を変えていく、その心の持ち方ができるようになった」。同世代の中ではトップレベルの評価を受け続けている。J1の舞台で、才能が開花する瞬間が待望されている。【岡崎悠利】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

◆平川怜(ひらかわ・れい)2000年(平12)4月20日、東京都調布市出身。東京U-15むさしで下部組織入り。ユース年代の同U-18で1年生から主力となり、トップチームに2種登録される。17年11月にプロ契約、同月11日のJ3藤枝MYFC戦でプロ初ゴール、同18日のサガン鳥栖戦でJ1デビュー。各世代別代表に選出。昨季、J2鹿児島に期限付き移籍。今季から東京に復帰。177センチ、72キロ。利き足は右。