<高校サッカー:星稜4-0京都橘>◇準決勝◇11日◇国立

 本田先輩、やりました!

 星稜(石川)の「リトル本田」が、本田圭佑を超えた。星稜は前回準優勝の京都橘を下し、初の決勝進出を決めた。本田と同じ10番を背負うMF寺村介主将(3年)が、後半7分に貴重なPKゴールで突き放した。04年度に3位だった本田も成し遂げられなかった決勝の舞台へ、強烈なリーダーシップで引っ張った。決勝は富山第一と史上初の北陸対決となった。

 リトル本田が再び、PKキッカーに名乗り出た。主将で10番、MF寺村が後半7分に倒され獲得したチャンス。すぐさまボールを手に取るとゴール前へ。当たり前のように立ち、そして決めた。後半立ち上がりに貴重な2点目。初戦の一条戦では仲間が得たPKを譲り受けたが、この日は右クロスに反応した170センチの体で誘発した。だが納得はいかない。「PKだけではアカンなというのはある。流れの中から取れていないのは反省」と言った。

 こちらのリトル本田はささやかずに、声を張る。同校が2度挑戦して、いずれも負けた国立の舞台。試合前、選手を前にして声を大にした。「国立の舞台は最高の場所。楽しんだら結果はついてくる!」。この強烈なリーダーシップを、河崎監督も「怖いくらいのリーダーシップ。のびのびやらせていたら、すでに私を超えました」と認めるほどだ。

 前年の準決勝は、PK戦の末に敗れた。2年生ながら国立に立ったものの、3位の銅メダルはいらなかった。表彰式後の集合写真には1人メダルを外して写った。写真を見て気づいた父祐一さんが聞くと「いらんからやる」と言って、今は実家に眠ったまま。負けた直後から「日本一」を意識して口にするようになった。“本家”が口にする「世界一」と同様、寺村が言うことでチーム全体が同じ方向を向き、ここまできた。

 5日前の6日、小学1年のときにがんで亡くした母忍さんの墓前に立った。「お墓参りするためだけに四日市に帰った。母さんにはいろいろ言いましたけど、大ざっぱに言うと日本一を誓いました」。偉大な先輩を超え、母との約束まであと1つ。「ここで満足したら次は勝てない。日本一を取らな、意味がない。それに尽きる」。でっかいことを言って、それを現実のものにする。【栗田成芳】

 ▼無失点決勝進出

 星稜が初戦の2回戦から4試合連続無失点で決勝に進出した。4戦以上無失点で決勝進出は、05年度の鹿児島実以来9度目。首都圏開催となった76年度大会以降では6度目だ。決勝も完封勝利なら、77年度の帝京、86年度の東海大一(現東海大翔洋)、99年度の市船橋に次いで14大会ぶり史上4校目の無失点優勝となる。

 ◆私立星稜高校

 1962年(昭37)4月に「実践第二高等学校」として石川県金沢市に開校し、翌年9月に「星稜」と改称。サッカー部は67年創部。主なOBは、国会議員の馳浩氏、元メジャーリーガーの松井秀喜氏、サッカーの本田圭佑(ACミラン)豊田陽平(鳥栖)鈴木大輔(柏)。野球部、トランポリン部も全国的に有名。住所は金沢市小坂町南206。干場久男校長。生徒数1738人。