プレーバック日刊スポーツ! 過去の8月20日付紙面を振り返ります。1999年の9面(東京版)は鹿島にジーコ監督が就任でした。

◇ ◇ ◇

 鹿島は19日、ゼ・マリオ監督(50)の解任を発表した。チームワーストの7連敗でJ2降格の危機も近づいてきた状況に、この日の午後、急きょ監督解任が決まった。

 今後は、後任の監督を置かずにジーコ総監督(46)が事実上の「監督」として現場の指揮を執る。ベンチ入りできない際には、関塚隆コーチ(39)が代行する。ジーコ総監督は27日に来日予定で、21日のC大阪戦は関塚コーチが監督代行を務める。

 悪い流れは止められなかった。この日午後2時の会議でゼ・マリオ監督解任が決定。「現実は現実でつらくても見つめていかなければならない。自分としては、今季結果は出せなかったが、全力でやるだけのことはやった。このような時には何か変化を与えなければならない。私が辞めるという変化を与えることにより、選手たちも気持ちを切り替えて残りの第2Sを全力で戦い、成績が上がっていくことを期待する」と退任の理由を自ら話した。

 昨年度の年間王者の面影はなくなっていた。レベルアップを目指し、春のキャンプから柳沢ら若手に英才教育を施し、U-22代表などには多くの中心選手を送り込むまでになった。一方で若手とベテランがかみ合わず、少しずつ歯車が狂っていった。マジーニョ、ビスマルクをはじめ、中心選手の故障離脱も誤算。12日にはゼ・マリオ監督の腹心でもあったワルデマール・フィジカルコーチ(45)と、コスタ・フィジオセラピスト(27)を解雇した。

 鈴木昌社長(63)は「ジーコ本人からの強い申し入れもあり、チームのことを一番理解しているジーコが指揮を執るのが最適と考えた」と、チームの命運をジーコ総監督にゆだねることに決めた。

 ジーコ総監督は1995年に実兄エドゥー監督辞任後に監督就任を要請されたが拒否。96年に全権委任された総監督となり、これまでも、来日中はベンチ入りしていた。S級ライセンスを持っていないため正式な「監督」就任はできないが、これまで以上に現場で、チームの建て直しに全力を傾ける。

 選手にはこの日の練習前のミーティングで伝えられた。左足首ねんざからの復帰を目指すエース柳沢は「チームが悪い時には悪いなりの戦い方をみんなで話し合わないといけない」と口元を引き締めた。J2落ちの危機も現実味を帯びてくる中、鹿島はショック療法で王者の威厳を取り戻す。

◇森協会理事は難色「ライセンスない」

 鹿島のジーコ総監督体制の発表に、日本サッカー協会の森健児専務理事(61)が19日、難色を表明した。監督の座を空席にして今季残り12試合を戦うことと、ジーコ総監督がS級ライセンスを持っていないことにクレームをつけた。発表後、同専務理事は鹿島の事務所に電話で事情聴取を行った。S級資格を持っていない川崎の李国秀総監督を引き合いに出して「試合後の会見は松永監督が行うなど、川崎にも協力してもらっている。ジーコ君は世界的に実績を残しているけど、鹿島もルールを守ってほしい」と、S級ライセンスを持つ監督を置くよう忠告した。

◆S級ライセンス

5つある日本サッカー協会公認ライセンスのうち、最もハイレベルの資格。プロ選手への指導を行うことができ、Jリーグのチームの監督になるためには、これが必要となる。B級コーチまたは技術委員会が特に認めた者が、日本サッカー協会理事会の決定を受けてS級取得のための受講資格が得られる。内容は集中講習、筑波大学大学院修士課程体育研究科単位取得、実地研修、トレセン活動などへの協力など。これを受講後、技術委員会の審査、理事会の承認を経て交付される。

◆ジーコ

1953年3月3日、ブラジル生まれ。本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。66年に13歳でフラメンゴ入り、71年にプロ契約する。フラメンゴでは1046試合で729ゴール。W杯は3回出場、代表89試合で66ゴールを挙げた。89年12月に現役を引退するが、91年5月に鹿島の前身の住友金属に入団し現役復帰した。Jリーグでは94年第1Sまで現役を続け、36試合で21得点。サンドラ夫人(43)との間に3男。

◆ゼ・マリオ

1949年2月1日、ブラジル生まれ。70年にボン・スセッソでプロデビュー。以後、フラメンゴ、フルミネンセ、バスコ・ダ・ガマ、ポルトゲーザとブラジルの一流クラブに所属し、82年に引退してボタフォゴの監督に就任。98年にはカタール代表監督、同年9月に鹿島の監督となった。マリア・イザベル夫人(42)との間に2子。

 ※記録や表記は当時のもの