関東サッカーリーグ1部ブリオベッカ浦安(千葉県)は11日、都並敏史監督(58)との契約継続が基本合意に達し、来季も続投すると発表した。

都並監督は18年11月に、5年間務めたテクニカルディレクターから監督に就任。08年にJ2の横浜FCを率いて以来、11季ぶりの監督業で、16年以来の日本フットボールリーグ(JFL)への再昇格を目指したが、第2節から3連敗するなど序盤に出遅れ、7勝3分け8敗で4位に終わった。優勝すれば、全国9地域リーグから選出された12チームでJFL昇格を争う、全国地域リーグ決勝大会の出場権が与えられたが、悲願はかなわなかった。

都並監督はクラブを通じて「来季もブリオベッカ浦安の指揮を執らせていただくことになりクラブの決定に感謝しております。今季はスタートダッシュに失敗し、クラブの大目標であるJFL再昇格を果たすことが出来ず責任を感じております。申しわけございません!」と、今季の成績について謝罪した。その上で「来季こそ、シーズンを通して安定した戦いを続けられるようチームを熟成させ、悲願のJFL再昇格の権利を勝ち取りたいと思っています」とコメントした。

ブリオベッカ浦安は、1989年(平元)に浦安ジュニア・サッカークラブとして設立し、幼児、小学、中学2年生までが所属。91年には高校生年代のユースチーム、00年には社会人のトップチームができ、千葉県社会人3部リーグに参戦し優勝。翌01年には同2部リーグを制し、1部に昇格すると05年に1部で優勝。12年に関東サッカーリーグ2部に昇格し、13年に優勝した。14年には同1部で優勝すると、浦安サッカークラブからブリオベッカ浦安に改名した15年も連覇し、全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝した。

翌16年にJFLに昇格したが、翌17年に15位で関東リーグに降格。18年はカマタマーレ讃岐などを率いた羽中田昌氏が監督に就任も6位と低迷し、9月に解任され、鈴井智彦ヘッドコーチが監督代行に就任。同11月に05年にベガルタ仙台、07年にセレッソ大阪などを指揮した、当時テクニカルディレクターの都並氏に監督を託した。

ブリオベッカ浦安によると、契約締結はメディカルチェック、初手続きの終了後になるという。