ガンバ大阪のプロ23年目、元日本代表MF遠藤保仁(40)が新たな金字塔を打ち立てた。横浜F・マリノス戦に先発し、J1最多出場記録で楢崎正剛(元名古屋グランパスGK)に並ぶ631試合に到達。試合中にはシステム変更をベンチに進言するなど2-1の勝利に貢献した。

開幕白星は9年ぶりで、遠藤の開幕先発は自身のJリーグ記録を更新する21年連続。平成、令和を通じて常に大黒柱であり続けた男が、次節3月1日ホーム・ベガルタ仙台戦で出場記録を塗り替える。

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鉄人が新たな歴史を刻んだ。フル出場でJ1最多出場記録に並んだ遠藤は「これだけの試合に出る大変さは、僕と正剛さんしか分からない。並ぶことができて光栄。先発で出て、試合に勝ったんでうれしい」と一瞬だけ頬を緩めた。

98年に横浜Fでプロデビューした同じ会場で、昨季2戦全敗のJ1王者に1点差とはいえ完勝した。当時と同じ相手でスコアも同じ2-1。「巡り合わせがいいのか、運なのか。感慨はなく、普通に横浜を倒すだけだった」。走行距離11・621キロは井手口陽介、小野瀬康介に次ぐチーム3番目。40歳とは思えない運動量だ。

ピッチ上の指揮者だった。前半28分、遠藤はベンチ前の宮本恒靖監督に駆け寄った。「相手9番(マルコス・ジュニオール)が横に動き、僕が付いていくと(中央に)スペースができる。井手口と2人で対応したい」と進言。矢島慎也を含めて3人が流動的に見ていた3列目を、遠藤と井手口に固定して守備を改善させた。

「監督に言えるか、言えないかは勇気の問題。実際やるのは選手で、また1歩成長したと思う」

前線から激しく攻めるスタイルが主流の今、遠藤が奏でるパスは、緩急自在で、時に優しく、誰よりも正確だ。この日も縦パス、サイドチェンジを駆使。音楽で例えれば、ロックもあれば、演歌や歌謡曲もあり。元スペイン代表シャビのように、独自色でピッチを染め上げる。純粋に楽しいサッカーを提供する。

「自分の最大の特長を削り、不得意な部分で勝負したいとは思わない」。所属クラブでは西野朗監督ら13人の指揮官に仕えた。歴代の名将らとの出会いに「運がよかった」と言うが「衝突もちょこちょこあった」。穏やかな人柄で13年から6年主将を務めた時には九州男児として頑固さも貫いた。

昨年8月に日本人初の公式戦1000試合に達した鉄人は、この日が1014試合目。生涯ガンバを貫くとか、J1出場記録を700試合に伸ばすといった力みは一切ない。「目の前に敵がいれば負けたくない。充実したサッカー人生を送りたい」。「保仁」は母ヤス子さんの名前と、まっすぐ生きてほしいという願いで命名された。鉄人は自然体でこれからもパスを出し続ける。【横田和幸】

▽視察した日本代表森保監督 向上心と努力で大記録につながった。体力だけではできない記録で、サッカーの日々の進歩や変化に対応しているのがすごい。

◆Jリーグ最年長選手(23日現在) 今季J1では横浜FCのFW三浦知良(52歳11カ月28日)が最年長。2位は横浜FCのMF中村俊輔(41歳7カ月30日)。40歳の3位鹿島GK曽ケ端準、4位横浜FCのGK南雄太、5位G大阪MF遠藤保仁と続く。

◆G大阪の開幕勝利 11年にC大阪を2-1で破って以来9年ぶり。最近8年は3分け5敗で、3冠獲得の14年度も浦和に0-1で惜敗。昨年までの10年間はすべて本拠開催だったが、わずか1勝と結果が出なかった。今回のアウェー開幕自体が09年以来11年ぶり

◆中村俊輔と遠藤 中村が78年生まれの41歳、遠藤は80年生まれの40歳。00年シドニー五輪では中村が背番号10で出場し、遠藤はバックアップメンバーだった。A代表のW杯は06年ドイツ大会と10年南アフリカ大会でそろってメンバー入りしたが、同時にピッチに立ったのは10年大会1次リーグのオランダ戦のみ。06年は中村が主力、遠藤が控え、10年はその逆だった。ともにプレースキックが武器だが、J1通算直接FKゴールは中村が1位の24点、遠藤が2位の17点。

◆遠藤保仁(えんどう・やすひと)1980年(昭55)1月28日、鹿児島県生まれ。鹿児島実から98年横浜F入りし、京都を経て01年G大阪移籍。日本代表では02年に初出場。W杯は06年ドイツ、10年南アフリカ、14年ブラジル大会代表。国際Aマッチ152試合出場(15得点)も歴代1位。緩やかに蹴るコロコロPKが得意。178センチ、75キロ