名場面に名言あり。サッカー界で語り継がれる記憶に残る言葉の数々。「あの監督の、あの選手の、あの場面」をセレクトし、振り返ります。

「魂でサッカーを愛した男を覚えていてほしい」。誰よりも日本サッカー界を愛し、情熱を注いだラモス瑠偉(当時42)が、引退試合後に声を詰まらせて語った。

1999年8月23日、舞台は旧国立競技場。ラモスオールスターズの一員として先制点の起点になるなど、90分間出場して4万8142人が駆けつけたサポーターに最後の勇姿を届けた。Jリーグ選抜相手に3-1の勝利に貢献した後、静まりかえった会場の真ん中で「本当に(日本での)22年間はあっという間でした。初めてこの国立で試合をした時、観衆はたしか300人か、400人。今こうして、いろんな人の努力と協力で、満員のファンの前で引退試合ができました。私は本当に幸せです。本当に本当に感謝しています」と、何よりも大事にしていたサポーターへの感謝を伝えた。

77年に母国ブラジルから日本へ「お金のためだけに」やってきた。日本サッカー界の発展など、当時は考えてもいなかった。だが、32歳とベテランの域に達した89年に日本人へ帰化。日本初となるワールドカップ(W杯)出場が目標となった。結果は日本サッカー界で最も有名な敗戦「ドーハの悲劇」。勝てばW杯出場が決まるイラク戦で、後半ロスタイムに2-2となる同点弾を決められ、あと1歩で夢が断たれた。

涙をこらえながら「もう1度生まれ変わったら、もう1度日本に来て、早く帰化して、もう1度、W杯を目指したい」と言った。最後まで情熱は衰えず、日本への愛が込められていた。