Jリーグ鹿島アントラーズの日本代表DF内田篤人(32)が、24日のガンバ大阪戦で14年半の現役を終えた。試合後、ホームのカシマスタジアムの引退スピーチでは、引退決断に至る苦悩、現役生活を支えてくれた人たちへの感謝、そして愛するサッカーへの思いを熱く語り、サポーターへ別れを告げた。

一時代を築いたアスリートの引退スピーチは、その選手の最後の決意表明でもある。引退決断の理由とともに、人生、哲学、人柄がすべて凝縮されおり、私たちへのメッセージが込められている。

相撲界とプロレス界で長い間、頂点に立った元横綱千代の富士の引退会見、プロレスラーのアントニオ猪木の引退スピーチを再現した。

 

★千代の富士(横綱)

「体力の限界…(涙)気力もなくなり引退することになりました。肩の荷が下りた気持ち。全然体力は戻らないし、無理してここまできましたからね。(思い出の一番は)最後に貴花田(後の横綱貴乃花)と当たって、若い芽が随分出てきたなと感じた一番。また初優勝の時も印象に残っている。(大鵬の優勝32回に1回及ばず)近くて遠い記録だよ。近づけただけで幸せです」

<35歳。1991年(平3)5月14日の引退会見>

※70年秋場所初土俵。81年初場所後大関、名古屋場所後に横綱昇進。優勝回数31回。89年9月に国民栄誉賞受賞。16年7月31日死去。

 

★アントニオ猪木(プロレスラー)

「私は色紙にいつの日か闘魂という文字を書くようになりました。それを称してある人が燃える闘魂と名付けてくれました。闘魂とは己に打ち勝つこと、そして闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。最後に私から皆さんにメッセージを贈りたいと思います。

“人は歩みを止めた時に、そして挑戦をあきらめた時に年老いてゆくのだと思います。この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一足が道となる。迷わず行けよ、いけばわかるさ。ありがとう”

いくぞ~、1、2、3、ダァ~」

<55歳。1998年(平10)4月4日の引退セレモニーあいさつ>

※60年4月に日本プロレス入門。ジャイアント馬場とのタッグで人気を博す。72年新日本プロレス設立。異種格闘技戦で五輪柔道金メダリストのルスカや、ボクシング世界ヘビー級王者のアリと対戦した。