2010年11月20日に、Jリーグの名古屋グランパスというクラブがリーグ初優勝を成し遂げた。

圧倒的な強さで悲願のタイトルをつかみ取り、主将の楢崎正剛がシャーレ(優勝銀皿)を掲げた。それぞれの立場から、この10年と今を描く連載「グランパスVから10年」。過去に10年ほどチームを追いかけた元番記者が担当する。(敬称略)

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10年前、平塚で優勝して名古屋グランパスの真っ赤な優勝記念Tシャツを着ていた小川佳純と巻佑樹は、ユニホームを脱いだ今も、戦いの場にいた。2人そろって。

2020年11月23日。来季の日本フットボールリーグ(JFL)昇格をかけた、全国地域チャンピオンズリーグの決勝ラウンド最終戦が市原で行われた。

関西リーグを制したTIAMO(ティアモ)枚方は、ここまで勝ち点4、引き分け以上で昇格という条件で関東リーグの覇者・栃木シティと、文字通り運命の一戦を迎えていた。

小川は監督としてジャージー姿でピッチのすぐ脇に立っていた。腕組みし、冷静にピッチを見つめる。今すぐにでもピッチでプレーできそうな顔つきと、体形だった。

巻はゼネラルマネジャー(GM)として、入念な新型コロナウイルス感染症対策がなされたスタンドにいた。黒い襟付きシャツにジャケット姿。その貫禄は、現役時代よりひとまわり以上も大きくなった体によるものだけではなかった。

開始から押され気味だったが、経験十分の元Jリーガー、野沢拓也や田中英雄、さらにベンチの二川孝広の存在感などもあってか、しぶとく戦い、うまく時計の針を進めていった。

勝たなければ昇格は絶望的な状況の相手の猛攻に耐え、ピンチを切り抜けカウントダウン。ロスタイムの4分もしのぎきり、0-0で引き分けて、JFLへの初昇格を決めた。

2人は今年1月17日に、同時に就任した。将来的なJリーグ入りを目指すクラブで、新米GMと指導者経験ゼロの新米監督が就任初年度に、周囲にも助けられ、大仕事をやってのけた。

36歳と若い指揮官は「感無量です。何も言うことはありません」と達成感をにじませた。

小川は、冷静に戦局を読む効果的なプレーで、2008年に名古屋グランパスでJリーグ新人王とベストイレブンをダブル受賞した実力派MFだった。

昨季、J2のアルビレックス新潟を契約満了で退団し、そのまま潔く現役引退。指導者として第2の人生を踏み出した。

栃木シティ戦は、経験豊富なベテラン監督でもしびれるであろう勝負どころ。自然と熱くなってしまいそうな展開だったが、現役時代と変わらぬ精神状態でしっかり戦況を把握し、冷静に選手交代などの手を打っていった。

「プレッシャーはそんなに感じませんでした。向こうは勝たなきゃいけない状況。うちは今日、引き分けでもよかった。1-0で勝っているような状況、気持ちで試合に入りました」

J1で優勝も降格も経験した。J2でも戦った。名古屋グランパスでは選手会長を務め、象徴のピクシーの重い10番も背負った。経験を生かし「サッカー界へ恩返ししていきたい」という気持ちを、いきなり結果にしてみせた。

その小川を、巻が支えた。「彼は、常に心のよりどころです」と小川が相棒の肩に手を置いて笑えば、巻は「寄り添いましたよ」とあうんの呼吸で返す。

以心伝心、最高のコンビでコロナ禍の難しいシーズンを乗り切った。

2007年に小川は明大から、巻は駒大から名古屋グランパスで同時にプロになった。同期には、今や日本代表の主将となったユース上がりの吉田麻也もいた。

巻はワールドカップ(W杯)日本代表でもあったあの誠一郎の弟で、同じタイプの大型FWとして大いに注目された。

プロ入り後は、小川が2年目に大ブレーク。巻はけがもあり、2012年に28歳で引退した。その後巻は、名古屋グランパスなどでスカウトを務めフロント業のイロハを学び、サッカー界で着実に人脈を広げていった。

巻のGM初仕事が、小川を監督に誘うことだった。「聞いたら、やってみたいと言うんで」と冗談めかして笑うが、信念があった。名古屋グランパスで慕っていた偉大な先輩、楢崎正剛の引き際などから、ずっと引っかかっているものがあったからだ。

「ナラさんもそうだけど、実績を残した選手の第2の人生、引退後の仕事というのは本当に難しい。サッカー界として、しっかりとした立場、仕事を用意するという部分が欠けているような気がする。(小川のような)経験があれば、このカテゴリーならチームをしっかりまとめて、結果を出してくれるという手ごたえは、最初からあった。こうして監督のオファーを出して、ふさわしい人物に、そういう仕事をしてもらうというのが、サッカー界への自分なりの恩返しだと思っている」

巻にとっては賭けだったのかもしれないが、もともと思い切りが良く、勝負強い。自然とまわりを味方にしていくような、明るさもある。盟友とともに、二人三脚で乗り越え、目標を達成してみせた。

「(小川は)引退したばかり。指導者やスタッフとして、外からサッカーをみた経験はない。選手交代など、難しい部分があると思っていたから、外から見てきた自分が、一緒に仕事をさせてもらった監督はこうだった、ああだったと、毎試合毎試合、話をして、アドバイスして、2人でやってきた」

巻の信念、そして信頼に結果でこたえた小川も、使命感を口にする。

「まずはクラブのために結果が出せてよかった。そんなにえらそうなことは言えませんが、僕が引退した次の年に監督を引き受けてチームを率いて、昇格を達成できるんだという1つの例になれば、この先、引退した選手たちが、いきなり監督をやるという選択肢が増えてくるんじゃないかと思っていました。今の現役の選手たちが、やめた後に、そんな流れができてほしい。自分が結果を残す意味は、そういうところにもあると思っているので」

前例のない挑戦。後にも続いてほしい。続く者たちのためにも、失敗するわけにはいかなかった。

くしくも、この日、11月23日は、プロ入り間もない2人を厳しくも愛ある叱咤(しった)で本物のプロにし、仕事を教え込んだ恩人、久米一正(元名古屋グランパス社長、GM)の命日だった。

2年前に急逝し、今は天国から日本サッカーを見守っている。

選手として、スカウトとして久米にかわいがられ、鍛えられた巻は「ズミ(小川)を男にできてよかった。久米さんも見ててくれたと思います」と言った。

10年たっても、戦いは続き、そして絆も続いている。

(つづく)【八反誠】