元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が1日、80歳でこの世を去った。哲学的な言い回し、独自の練習法などで「日本代表の日本化」を目指した知将。日本への愛も深く、脳梗塞で倒れて退任後も、その思いは多くの関係者に受け継がれている。数々の証言から、その功績を見つめ直す。

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韓国代表の元エースFW崔龍洙氏(48=Kリーグ江原FC監督)は、オシム監督が嫌いだった。同監督がやってきたのは、市原(現J2ジェフユナイテッド千葉)在籍3年目となる03年。それまで2年間、62試合47得点でチームのエースとして、顔として最前線に君臨していた。Jリーグを代表するストライカーとして、他のチームからも恐れられる存在だった。

「オシムさんは常にオレに対して怒っていた。『もっと欲を出さないとダメだろう』と言ったり、オレが貪欲にゴールを狙うと『FWは90分間、冷静にプレーしないとダメじゃないか』と怒ったりした。当時、オレは若かったし『言ってることが全然違うじゃないか』と食ってかかって、ロッカー室がシーンとなることが何度もあった」

チームのスター選手と指揮官が罵倒し合い、雰囲気は最悪。他の選手やスタッフが間に入る余地はなかった。普通なら、いくらエースといえども、監督に反発する選手はチーム規律のためにも、次の試合に使わないことが多い。しかしオシム監督は崔氏を使い続けた。

「オレの表情や細かい動き、チームメートとのコミュニケーションとか、細かいところまで見ていたから、その日その日で指示が違った。オレの潜在能力を最大限に引き出すためのオシムさんなりの判断だったと思う。最初は反発もしたけれど、それが分かり、言うことは何でも信じて聞くようになった。オレは指導者になった今、選手1人1人のプレー以外の動きにも細かく気を使ってみているが、オシムさんがオレをそうやってみてくれたから」

崔氏には「怖い」「近寄りがたい」などのこわもてのイメージが強いが、実は今韓国では「おもしろい」「かわいい」と柔らかい印象を持つ人が多い。

「オシムさんは人のいいお父さんのイメージだけど、実際はとても怖い人でサッカーに妥協しない人。僕はサッカーに妥協はしないけど、性格はオシムさんの逆かな。いずれは日本に戻ってオシムさんのように、いい影響を残したいですね」

指導者として韓国では十分な実績を残した崔氏が、オシムイズムを携えJリーグにやってくるかもしれない。【盧載鎭】

◆崔龍洙(チェ・ヨンス)1973年9月10日、韓国・釜山生まれ。01~03年市原で88試合64得点、04年J2京都で34試合20得点、05年磐田で16試合1得点記録。KリーグLGでは選手、コーチ、監督として優勝を記録。昨年11月に降格危機の江原FC監督に就任し残留させた。96年アトランタ五輪出場、韓国代表で98年、02年ワールドカップ(W杯)出場。国際Aマッチ67試合27得点。現役時代184センチ、71キロ。夫人と1男1女。

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