初の「清武兄弟」対談が実現した。日本代表MFの兄弘嗣(27=スペイン1部セビリア)とFWの弟功暉(25=J2千葉)が取材に応じ、幼少時代やW杯ロシア大会出場が懸かる17年の抱負を語った。兄は昨年ハリルジャパンで9試合4得点と躍動し、トップ下に定着。昨季まで所属したJ2熊本で12得点を挙げた弟との気心知れたトークを通し、日本の新たな司令塔の素顔に迫る。アジア最終予選は3月23日のアウェーUAE戦から再開される。【取材・構成=木下淳】

 「お願いします!」。黒のジャケットで統一した清武兄弟は、声をそろえ取材部屋に入ってきた。最終予選突破を主力として導く覚悟の兄弘嗣と、今季から伝統ある千葉で挑戦する弟功暉。対談は初めてだ。

 弘嗣 今まで全然なかったよね、こういうの。

 功暉 僕ら、サッカーの話しないしね(笑い)。

 照れながら始まった兄弟トークは、まず幼少時代を振り返った。1学年違い。大分市の明治北SSCで弘嗣が小学校3年、功暉が2年生の時から一緒だった。

 弘嗣 4歳上の兄ちゃん(長男勇太さん)もいたので、練習から帰ってきてもサッカー漬け。住んでいた団地の裏に芝生があって。

 功暉 真っ暗になっても自動車のヘッドライトで照らしてもらって。1対1とか、常に勝負してました。

 弘嗣 兄弟げんか、相当したよな。よく2人で家の外に閉め出されてたもん。

 功暉 サッカーだけじゃなく、お風呂掃除の当番とかも発端にね。窓ガラス割ったり、ベッド壊したり。

 体格は1学年下の功暉の方が大きく、ほぼ互角。身近なライバルと競い、小学6年と5年の時に全日本少年サッカーで3位になった。

 弘嗣 準々決勝で退場したな…。気性が荒かったんで、攻めまくったのに点が入らずムカついてた。そんな時、弟が削られたのに審判がファウル取らなくて。プチンと。女性審判だったんですけど、汚い言葉を使ってしまって…。われに返った時にはベンチで号泣。

 功暉 気付いたら、いなくなってました…。弘嗣がいれば優勝できたと思う。

 弘嗣 決勝まで出場停止だったから(笑い)。当時は「俺の弟に何すんだ!」って気持ちで爆発してしまったけど、あの日から冷静にならなきゃと思った。

 今年でプロ10年目。弘嗣は出場300試合を超えたが、Jリーグでもブンデスでも日本代表でも、以来1度も退場したことはない。

 兄は日本代表、弟はJ2からステップアップを目指している。大分U-15(15歳以下)に進んだ中学時代から差が出始めたという。

 弘嗣 俺の弟と言われるから嫌だったんじゃないですか。周りはそう見るし。

 功暉 中高と自分だけ試合に出られなくなったり、厳しかったオヤジ(父由光さん)から「弘嗣はできたぞ」と怒られたり。大分でトップに昇格できず、プロになれるかって時に弘嗣はロンドン五輪代表。つらかった。でも、A代表デビュー戦で韓国相手(11年8月10日)に2アシストした時に「すげえ」と、もう気にならなくなった(笑い)。

 弘嗣 やっぱり比較って嫌なもの。俺も大分のころは家長君とか(金崎)夢生君がいて、C大阪では(香川)真司君に乾貴士君。今も代表で、ずっと真司君でしょ。「本田、香川の次」って質問は正直ウンザリ(笑い)。もう27歳。俺が出ても世代交代じゃない。現役代表では試合数7番目(※)なんで。(原口)元気やサコ(大迫)もそうだけど(久保)裕也とか植田とか、リオ世代がガンガン出てきたら世代交代と言えるけど。

 その中で昨年、ハリルホジッチ監督からトップ下の先発に指名された。最多タイの9試合に出て4得点7アシスト。同じくブレークしたヘルタFW原口の5ゴールに次ぐ活躍を見せた。

 弘嗣 得点2位? やった~! やっぱりゴールはいい。初得点(12年11月14日オマーン戦)から3年4カ月かかったけど、代表で足りないと思っていたのは得点数だったので。今までは、偉大な(本田)圭佑君や真司君に気を使いすぎていた部分があるので、勝負していかないと。

 功暉は昨年、熊本で気を吐いた。大地震で活動の危機に直面しながら37試合でチーム最多の12得点。争奪戦の末、千葉へ移籍する。

 弘嗣 フルシーズン出たのは初めて。どうだった?

 功暉 楽しかった。自分が点を決めないと順位が上がらない。もっと俺がやらないとって責任感が出た。

 弘嗣 地震後、勝手にロアッソ(熊本)に愛着を感じて試合を見てたけど、功暉はセンターFWとして、どっしり前に構えてボールを収めていた。代表で言えばサコ。俺らトップ下からすると本当に助かる。体も本当に大きくなったよな。

 功暉 うまい弘嗣と違って自分はガツガツいくスタイルなので。5キロ増えて70キロ。競り負けなくなった。

 弘嗣 俺は細る一方だというのに。3キロも減って65キロ。かわいそうでしょ? ストレスかもしれない…。

 功暉 でも、こっちは今でもオヤジから怒られてるよ…。試合でダメだと「お前、何しとん!」って。

 弘嗣 俺は怒られなくなった。だってクラブで試合に出てないから(笑い)。

 自虐的に話した通り、これまで順調だった兄はセビリアで今季4試合1得点にとどまっている。欧州挑戦5年目で初めて出番に恵まれない日々が続き、今冬の移籍も取りざたされるが、日本代表ではハリルホジッチ監督の信頼が厚い。3月23日のUAE戦からフル回転が期待されている。

 弘嗣 ある程度、自由にやらせてもらったサウジアラビア戦(昨年11月15日)は手応えが大きかった。UAEにはホームで負けている。正直、想定外。絶対に敵地で借りを返さないと。

 功暉もJ1昇格の切り札として千葉に迎えられる。

 功暉 来年27歳。復興のため熊本に残ろうか迷ったけど、勝負したかった。昨年以上に自分を追い込む。

 弘嗣 いつか一緒のクラブでプレーしてみたい。もちろん代表が一番だけど、最終的には地元の大分トリニータで。もちろん、先の話。近いところでは2人で熊本地震の復興支援をしたいけど、行って喜んでくれるかは俺らの今年の頑張り次第。必ずロシア切符をつかみます。(出場わずか5分間に終わった)ブラジルW杯の悔しさを晴らすのはロシアと決めているので。

 ◆清武弘嗣(きよたけ・ひろし)1989年(平元)11月12日生まれ。大分市出身。大分U-18-大分-C大阪-ニュルンベルク-ハノーバー-セビリア。J1通算97試合17得点、ブンデスリーガ117試合17得点、スペインリーグ4試合1得点。12年ロンドン五輪、日本代表で14年W杯ブラジル大会に出場。国際Aマッチ42試合5得点。172センチ、65キロ。

 ◆清武功暉(きよたけ・こうき)1991年(平3)3月20日生まれ。大分市出身。大分U-18-福岡大-鳥栖-熊本を経て今季から千葉入り。J1通算14試合無得点、J2通算56試合19得点。16年はJ2のベストイレブン。U-16~U-19の代表歴がある。177センチ、70キロ。