モーリス・ラベル作曲のボレロが会場に流れ始める。2人は20秒以上、リンクに膝をついたまま。静かに始まったメロディーに合わせて何度も上体を左右に妖しく揺らす。これが幻想的な4分間の始まりだった-。

 84年2月14日、サラエボ五輪アイスダンスのフリー。英国のジェーン・トービル(当時26)クリストファー・ディーン(同25)組の演技は、9人の審判全員から芸術点で6点満点の評価を受けた。五輪史上初の快挙で金メダル。技術点でも3人が6点をつける「伝説のプログラム」になった。

 -青紫の衣装の2人は立ち上がり、手を結び、体を寄せ合い柔らかな曲線を描く。氷上を舞うつがいのチョウだ。ディーンに抱かれたトービルがとろけるような表情に。膝に乗せられて宙を踊ると切なげに変わった。頬が紅潮する。情熱的なキス。鼓動のようなリズムが力強くなる。2人は情熱的で、しかも悲しげな世界に閉じこもる。そして曲が止まった瞬間、もつれながら氷上に横たわった。6000観衆は息をのみ、バレンタインデーに演じられた悲恋の物語に浸った。

 革命だった。スロー、クイック、スローとテンポの違う複数の曲を使うのが常識だったアイスダンスを、単調なボレロ1曲で演じきった。氷上の社交ダンスと言われた競技を感情を詰め込んだドラマに変えた。実らぬ愛に苦しみ、行き先のない旅に出た恋人同士が最後は絶望の末に火山の火口に身を投げるストーリーだった。前年の世界選手権ではまったく別のコミカルなプログラムでオール6点を出していた2人の大胆なチャレンジ。スタートとフィナーレも衝撃的だった。

 トービルが17歳、ディーンが16歳だった75年にペアを組んだ。保険会社社員と警察官。お金にも時間にも余裕はなかった。コーチも不在の苦しい環境から80年レークプラシッド五輪5位、翌81年の世界選手権を制した。仕事を辞めて競技に専念した2人を、生まれ育ったノッティンガム市が支援し始めて以降は世界の王座を独占。2人の情熱と故郷の期待が伝説を生んだ。

 五輪後に世界選手権を4連覇してプロに転じた。それから10年後、アマに復帰した2人はリレハンメル五輪で新たなプログラムに挑んだものの銅メダル。しかし、それだけでは終わらなかった。エキシビションで演じたのはボレロ。サラエボはその時、ユーゴ紛争で戦火の中だった。金メダルの思い出の地の平和を祈る舞いに、「6・0」と書かれた多くのボードが客席に掲げられた。【小堀泰男】