91年世界選手権(ドイツ・ミュンヘン)。髪を留めたブルーのリボンとおそろいの色で決めた衣装を身にまとい、伊藤みどり(21=当時)はオリジナルプログラム(OP)で、最初のジャンプに向かっていた。ジャンプは3回転ルッツ、2回転トーループの連続ジャンプ。最初のジャンプを着氷、そして次を着氷した瞬間、伊藤の姿はリンクから消えた。

 テレビ中継のため、2台のテレビカメラがリンクの外にあった。撮影のため、そこだけフェンスがなかった。伊藤は着氷の時に、リンクと外を仕切る段差に左足がかかり、フェンスのないところから、リンクの外にすっ飛んだ。「スピードがある方がダイナミックにきれいに跳べる。ただ、転んだらダイナミックに、フェンスまで飛んでいく」。持ち味のスピードがあだになった。

 伊藤はすぐにリンクに戻り演技を続行。その後はミスなく滑り終わり、苦笑いした。右手をげんこつにし、何度も自分の頭をこつこつとたたいた。そして、信じられない行動に出る。自分が飛び込んだところにあったテレビカメラに近寄り、そのスタッフにけががないか気遣った。

 実は、OP前の直前練習でアクシデントがあった。連続ジャンプの練習をしようとした途端、伊藤にフランスのユベールが激突した。「よけようとしたが、その時は遅かった」。伊藤は左足、腰、左脇腹を強打し、うずくまった。痛みを押しての本番演技。そこで、再び悪夢は繰り返された。

 OPは3位だった。演技後、1人では歩けなくなり、スタッフに抱えられた。左脇腹は腫れ、市内の病院に直行した。一晩中、氷で患部を冷やし続け、挑んだ翌日のフリー。冒頭からジャンプのミスが続き、総合で4位に終わった。89年世界選手権(パリ)で、アジア人として初優勝した再現はならなかった。(敬称略)【吉松忠弘】