<連載:沼津中央初の全国制覇へ>

 男子の沼津中央は、4度目の全国大会に挑む。初挑戦は昨年、県2位で出場した高校総体だった。続く冬の選抜は1校しか出場できない。そこで4連敗していた藤枝明誠に初めて勝利。全国でも強豪を撃破し、その名をとどろかせた。大きな壁を破ったチームには、大きな変化があった。

 昨年の11月21日は、県高校バスケット史に新たな1ページが刻まれた日である。選抜県予選男子決勝。沼津中央が藤枝明誠に95-86で勝った。県内77連勝で大会4連覇の懸かった絶対王者を撃破。創部15年目、強化2年目での初優勝だった。前年度の新人戦県大会での初対戦から東海大会、県総体、東海総体と、ことごとくはね返された壁。乗り越えた最大の要因は「走力とディフェンスを鍛えたから」と、反町駿太と川口颯は声をそろえる。9月にコーチから監督に転じた杉村敏英(62)がもたらした変革だった。

 「それまでは攻撃ばかりやってたから」と、事もなげに語る。7月の沖縄総体で全国大会初出場初勝利を挙げ、16強入りしたチームを県内で埋もれさせたくない。ステップワークだけで約1時間。朝練での10分間走など走るメニューも増やし、とにかく足を動かさせた。地道な努力は裏切らない。「試合の後が楽になった」と反町。川口は「抜かれることがなくなった」と言う。やるべきことをやり尽くして得た自信と勝利への欲求がチームを1つにした。第1クオーター(Q)だけで12点リード。第3Q終了時には19点差をつける逃げ切り勝ちだった。杉村は「最大の勝因はチームワーク」とたたえた。ところが、その笑顔は続く全国大会初戦で見られることはなかった。

 東海大相模(神奈川)に1点差で勝ったが、37点をたたき出したシェリフ・ソウの孤軍奮闘によるもの。連係はないに等しかった。不協和音は大会前から始まっていた。勝てば勝つほど、さらに強さを追い求める。シェリフのチームメートへの要求は少しずつ高く厳しくなっていた。加えて日本人同士でも意見が合わず、反町と川口は一触即発状態。今でこそ2人は「この時は最悪でした」と笑って振り返るが、勝てたのが不思議なぐらいだった。

 そんなチームが翌日の2回戦で「今までで最高の試合」をするから分からない。相手は連覇を狙う第2シードの明成(宮城)。やるからには勝ちたい。前夜に話し合いを重ねた。気が付けば藤枝明誠戦前と同じ結束が生まれていた。結果、最大16点差を逆転しての勝利。シェリフは54得点をマークしたが、チームの後押しを受けての大爆発だった。

 3回戦も勝利し県勢最高タイの8強まで進んだが、準々決勝で福岡第一に敗れた。シード校との戦いに杉村は「1試合多い分で負けた」と感じていた。体力、精神力さえ整えば全国のトップを破る域にまでたどりついた。一方でシェリフに良くも悪くも影響を受けるチームは「仲間割れ」という危うさを抱えていた。ところが、杉村はその危うさにこそ手応えをつかんでいた。「ソウがいるから…」。次元の違うエースは、チームに類を見ない成長力をもたらすことを信じていた。(敬称略=つづく)