山口が64大会ぶり出場となった初戦を、69大会ぶりの白星で飾った。富山第一から4トライを奪って24-15。京大進学を目指すSH鹿取温希(はるき、3年)ら文武両道の選手が躍動し、大会最長ブランク出場で勝利をもぎ取った。岸信介、佐藤栄作元首相らを輩出した山口県屈指の名門進学校が、部員不足を乗り越え、花園で雄たけびを上げた。

 冬空に山口の黄色と黒のタイガージャージーが映えた。「まず花園で勝ったことが、うれしい」と同校ラグビー部OBの中江監督。前回出場の52年度大会、まだ山口中時代だった前回勝利の47年度大会とも、兵庫・西宮球技場が会場だった。同監督の父で、47年度大会にBKで出場した武人(たけと)さん(86)らがスタンドにいた。指揮官は「多くのOBの方に来ていただいて」と、花園初勝利と大会通算2勝目を喜んだ。

 岸信介元首相らを輩出した名門校。当然、生徒は進学希望。それゆえ、部員不足に悩んだ。10年の新チーム発足時は部員は7人。必死で部員を集めた。保健体育教諭の中江監督は「文化部出身者でもOK。他の部に入っていないなら男なら誰でも」と声をかけてきた。

 その象徴はSH鹿取だ。身長153センチは今大会登録全選手で最も低く、体重51キロは最軽量タイ。山口大付属中時代はバスケットボール部だったが、先輩に誘われた。当初は勉学優先を望む親に反対されたが、学力アップを条件に頑張った。

 この日は前半4、7、16分とBK陣の決定力でトライを奪った。支えたのは鹿取の素早いパス。前半から鼻血でジャージーを汚し、後半途中には背番号のないジャージーに着替え、奮戦した。学力もすごい。「部活を続けたくて頑張ったのが、良かったんですかね」。自宅で連日約3時間の勉強を欠かさず、来年1月のセンター試験後、京大工学部を狙う。

 総勢44人に増えたラグビー部。この日は第3グラウンドだったが、30日の2回戦はメインの第1グラウンドで松山聖陵(愛媛)と対戦する。「そうなんです。やはり、あの場所で生徒たちにラグビーをさせてあげたい」。中江監督の声のトーンが上がった。【加藤裕一】

 ◆県立山口 1870年(明3)に上田鳳陽が興した「山口講堂」の流れをくむ「山口中学」として創設。普通科と理数科の共学で生徒数は956人。ラグビー部は30年創部で部員数は44人。主なOBには岸信介、佐藤栄作歴代首相、他には作家国木田独歩、重松清ら。所在地は山口市糸米1の9の1。高原透校長。

<当時こんな時代だった>

 ▽1947年(昭22) 5月3日、日本国憲法が施行。片山哲が首相となり、新憲法下における最初の内閣を形成。「冷たい戦争」が流行語。競泳全日本選手権で古橋広之進が400メートル自由形で世界新記録を樹立。

 ▽1952年(昭27) 日米安全保障条約が発効され、連合国軍最高司令部(GHQ)が廃止。硬貨式の公衆電話が登場した。流行した洋画は「風と共に去りぬ」。手塚治虫による漫画「鉄腕アトム」の連載が開始された。