バスケットボール男子世界ランク2位の強豪スペインで、同国リーグ唯一の日本人選手として3季プレーした木下勲(24)が、同2部のTAUカステリョと契約を結ぶことが2日分かった。15年に単身、スペインに渡り5部から4部、3部とはい上がり、欧州屈指の強豪リーグとして知られる1部リーグ「リーガACB」に、あと1歩と迫った。9日に都内で、スペインからクラブのフロントが来日しての、異例の調印と会見が開かれる。

 15年の挑戦から3年…5部リーグから、たたき上げでキャリアを積み重ねた木下が大きなチャンスをつかんだ。「自分は外国人。スペインに挑戦しに来て今があるのは、自分の夢のために、どれだけ自分を犠牲にしてきたかということ」と感慨深げに振り返った。

 木下は漫画「キャプテン翼」が大好きなサッカー少年で、地元兵庫県のJ1ヴィッセル神戸もよく見に行っていたという。それが漫画「スラムダンク」の影響で10歳でバスケを始めた。関西学院高1年時に全国高校総体、2年で全国高校総体とウインターカップ(全国選手権)に出場したが、全国的には無名の選手だった。

 関西学院大に進学した13年1月にNBL合同トライアウトに参加し、和歌山トライアンズと契約。日本のトップリーグとして初の現役大学生選手となった。ところが和歌山が、後に市民クラブとして再出発する要因となった経営危機に陥ったことをきっかけに「自分の殻を破りたい」と思い14年に渡米。トライアウトを受け続けたが声がかからず唯一、合格した米独立リーグABAのバーミンガム・ブリッツに入団した。ただ、米NBAを夢見て加入したABAは「自分の思い描いた米国のバスケ環境とは違った。合わなかった」と1年で退団した。

 その後、新たな武者修行の場所として頭に浮かんだのが、スペインだった。ヨーロッパのバスケ事情は知らなかったが、08年北京オリンピック決勝で米国と戦ったスペインの強さを思い出して挑戦を決め、15年にスペイン5部ELベンドレイに加入した。

 自宅と最低限の生活こそ保障されていたものの、決して暮らしは豊かではなかった。スペイン語も全く理解できず、英語で何とかコミュニケーションを取っていたが、翌16年に移籍した4部CBサンセリュウムで、当時の監督からスペイン語が出来ず、戦術理解が進まないことで「俺の練習をつぶすなら、練習に来るな」と厳しく叱責(しっせき)された。その悔しさから「見返してやろう」と連日、練習の合間に4時間、語学学校に通って勉強し、チームメートと徹底的に話してスペイン語をマスターした。

 翌17年にBリーグが発足した。国内で実績を上げないまま、海外で武者修行を続けて3年が過ぎており「スペインで2年やって実力が付いた。自分自身の認知度を上げたい」と3部の東京サンレーヴスに加入も、2カ月で退団。「スペインで挑戦するということを捨てきれなかった。試合が出られるなら、カテゴリはどこでも良かった」と再度、スペインに渡った。

 5部CBベニカルロに加入すると、ポイントガード(PG)として活躍。175センチ、75キロと小柄ながら、ゴールリングにタッチできるほどの身体能力と当たり負けしない体をスペインで鍛え、そこに日本人特有の精緻な技術を兼ね合わせたプレーで、司令塔としてチームをけん引。プレーオフに進出すると、2シーズン無敗の32連勝を記録した強敵アルジネットとホーム&アウェーで対戦し、ホーム戦では勝ち、相手に唯一の黒星をなすり付けた。その試合が認められてTAUカステリョとの契約を勝ち取った。

 スペイン1部「リーガACB」は世界でも屈指の強豪リーグで、NBAにステップアップする選手、逆にNBAから新天地を求めてやってくる選手もいる。世界屈指のサッカークラブとして知られるRマドリードは、バスケットボールでも欧州でも強豪で知られる。同クラブで16歳からプレーし、欧州屈指の天才として知られるスロベニア出身のルカ・ドンチッチ(19)は、NBAのドラフトで全体3位でホークスに指名された後、マーベリックスにトレードされ夢のNBA挑戦を現実のものとした。

 木下も、NBA挑戦を野望の1つとして掲げる。「自分の抱いている野望を実現するために、どこまで出来るかが挑戦」と口にする一方「自分は日本で結果を出していない。スペインのトップでも結果を出していない」と自らの立ち位置を冷静に見つめる。

 2020年東京オリンピックの予選も兼ねた、ワールドカップアジア予選を戦い、2次予選進出を決めた日本代表の動向もチェックしている。2部とはいえ、世界屈指のスペインリーグで戦う唯一の日本人選手として、東京オリンピックも野望の1つだが「関心は、もちろんあります。呼ばれるレベルで出来るチャンスがあればやりたいけれど、自分は、もっと成長しないといけない」と冷静だ。

 スペイン1部…その先のNBA、日本代表という野望の実現が出来るかは、2部での活躍次第だ。木下は「ドンチッチは19歳でNBAにいった。自分は24歳…全然、遅い。僕は今からやる、やらなければいけない選手」と決意を新たにした。