「オリンピックをエンジョイするんだ。リラックスして、楽しめ」。このシンプルな言葉が後に羽生結弦(24=ANA)のフィギュアスケート男子66年ぶりのオリンピック(五輪)連覇にリンクするとは思いもよらなかった。

この言葉を羽生に贈ったのは最後に連覇した米国のレジェンド、ディック・バトン氏(89)。平昌(ピョンチャン)五輪8カ月前の17年6月。ニューヨークの自宅を訪ね、羽生へのエールをお願いすると、オリジナルの便箋を出し、この文字を書いてくれた。

これは忠告でもあった。バトン氏は48年サンモリッツ五輪で男子シングル史上最年少の18歳202日で金メダルを獲得。王者として臨んだ52年オスロ五輪で連覇を達成したが、ジャンプの着氷で乱れるなど、完璧な演技ではなかった。理由は本番直前に練習をしすぎたから。バトン氏にとってこの2つ目の金メダルは今でも「悪い思い出」。だからこそ、力を出しきれと羽生へ金言を授けた。

その夏、私は便箋を透明な額におさめ、羽生へ届けた。9月のオータムクラシックの際には「部屋に飾っています」とうれしそうに話していた。右足首のけがを抱えながら迎えた2月の平昌五輪。苦しい状況の中で、あのバトン氏の言葉はどう響いていたのか。五輪期間中、この質問を聞けず、悔いが残った。だが、帰国後の2月26日、都内で行われた会見で羽生は自らバトン氏について言及した。「けがをしなければ(連覇は)なかったかもしれない」という試合後に話した言葉の意味を聞かれ、こう答えた。

羽生 実はディック・バトンさんという方が僕にメッセージを送ってくださっていて。そのメッセージが「リラックス」だったり、「五輪の経験を楽しめ」というものだったんです。彼は「練習をしすぎていい演技ができなかった」と語っています。僕がケガをしないで万全でオリンピックに向かっていたら、そういう風になりえたんじゃないかなと思っています。五輪で絶対勝つという気持ちをずっと持っていたからこそ、直前にケガをしてしまったり、調子が悪くなって、最終的にボロボロになってしまったかもしれない。

右足首のけがで自身の最高難度のフリーには挑めなかった。しかし、羽生には構成を落としても「クリーンにやれば勝てる」という自信があった。試合の数日前、羽生は宿舎でひなたぼっこをしてくつろいでいたという。直前に追い込みすぎて後悔したバトン氏の教訓を、羽生はきっちり生かして勝った。「自分がいろんなものを犠牲にしてがんばってきたごほうび。自分の人生のうちで誇れる結果」。2つ目の金メダルをしまったままのバトン氏と違い、羽生はこの金メダルを喜びとともに何度も見返すはずだ。【高場泉穂】