半月ほど前、来年の22年1月17日開幕予定のテニスの4大大会、全豪オープン(メルボルン)の受け入れ方針が届いた。ほぼ今年、21年と同様で、チャーター便での入国に2週間の隔離が予定されているとのこと。この方針でも渡豪の意思がある報道陣は連絡がほしいとのことだった。

チャーター便は片道で、2週間の隔離のホテル代と合わせると、約70万円ほどだという。もちろん、報道陣サイドの支払いだ。これに、隔離後の宿泊代、帰国の飛行機代を入れれば、経費だけで100万円ほど。このうち、2週間の隔離期間は何もできない。これに、100万円を支払う報道機関は、このご時世、ないだろう。

その時点で、筆者も社に相談することなく、即座に諦めた。その後、意思を表明した報道陣には、入国条件緩和の知らせが届いていると聞くが、またいつ変更になるかも知れない。これで、21、22年と、2年連続で渡豪はならない。非常に無念である。

全豪は、筆者にとって、初めて取材した4大大会だ。86年で、会場はメルボルンのクーヨンテニスクラブ。民間のクラブで、コートは芝だった。プレスセンターなどあるわけもなく、報道陣の居場所は、センターコートの脇にあるテント。当時、全豪の冠はたばこメーカーで、プレステントには、たばこが山積みされていたのが、時代を反映していた。

オーストラリアは、北半球を上にした地図で、半分の下方にあるという意味で「ダウン・アンダー」と呼ばれる。決して、いい意味ではない言葉だとの指摘もあるが、それだけ欧米から遠いという意味でもある。80年代、全豪には選手が集まらず、4大大会から外すといううわさもあった。

そこからオーストラリア協会の奮闘が始まる。現在の会場であるナショナルセンターをメルボルン市とともに建設。会場を移し、積極的に選手や報道陣の勧誘に努めた。特に日本の報道陣は、欧米よりも地理的に近いということもあり、歓待を受けた。協会から相談を受け、スタッフに日本語の通訳、レストランには日本食を準備してもらった。

そして、今の全豪がある。現在、全豪を4大大会から外すなどと言えば、鼻で笑われるだろう。筆者も思い入れが深いだけに、早く戻りたいという思いも強い。ただ、その前に、オーストラリア国民、そして政府の意思が最優先だ。それをないがしろにしてまで、足を踏み入れたいとは思わない。早く、オーストラリア、日本ともに、何の問題もなく行き来ができる状態に戻ってほしいと願うばかりである。【吉松忠弘】