15年に54歳で亡くなった斉藤仁さんの次男、立(たつる、20=国士舘大)が初優勝した。親子2代で全日本制覇は史上初。191センチ、165キロの有望な体格を生かし、決勝では21年世界選手権優勝の影浦心(26=日本中央競馬会)との14分超に及ぶ死闘を制した。

準決勝では東京五輪100キロ超級5位の原沢久喜(29)に快勝。84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の男子95キロ超級2連覇した父を追って、夢の24年パリ五輪へ1歩を刻んだ。10月の世界選手権(タシケント)100キロ超級代表にも選ばれた。

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じょっぱり(頑固者)柔道を貫いた父仁さんの面影が重なった。斉藤2世の立が史上初の父子V。決勝で世界王者の影浦を破った。かつてフランスのリネールの連勝記録を止め、昨年6月には世界選手権を制している難敵を攻めに攻めた。

3年ぶりの日本武道館が「たつる!」の歓声に包まれる。内股、大外刈り、払い腰と頑固に技をかけ続けた。思わず極端な防御姿勢を取った相手から指導を誘発。最後は足車だ。延長14分21秒、影浦を畳に押しつぶし、技ありを奪った。

34年前の父と同じように右拳を突き上げた。が、あまり喜ばない。「父がいたら握手の後、すぐ課題を言われたと思う。褒めてくれないはず」と引き締めた。

準決勝では東京五輪100キロ超級代表の原沢に指導3の反則勝ち。初対戦だったが、内股の連続で押し切る。自身は指導0だった。石井慧、山下泰裕に次ぐ歴代3位の年少V。父の教え子だった石井の08年北京五輪を最後に遠ざかる100キロ超級の金メダル候補として世代交代を印象づけた。

史上初の父子優勝。生前にかわした約束があった。

15年1月20日、尊敬する父が肝内胆管がんで息を引き取った。前日19日に病床で最期の言葉を授かった。

「稽古、行け」

当時12歳の立は返した。

「お父さんみたいに強くなるから」

中学1年の冬だった。あれから7年。今年3月に20歳となった立は思い出す。父が全日本選手権で初優勝した88年の映像を、亡くなった後に初めて見た。「執念が姿に表れていて自分もこうなりたいと憧れた」。仁さんは27歳で宿願を成就したが、自身は20歳。大学3年生で日本一になった。

観客席の母三恵子さんは「(仁さんが)一緒にいてくれたと思います」と涙を流し「けが続きで苦しんでいたけど、はい上がってくれた」。大学入学の直前に腰のヘルニアで2週間入院し、全日本も前回大会は左膝靱帯(じんたい)損傷で欠場。規格外といえる肉体ゆえに苦しんだが、公称より5キロ多い165キロで、かつ動ける体が整ってきた。

世界選手権の代表にも初めて選ばれた。パリ五輪へ「ピークを合わせたい。今が全盛期ではない」。偉大な父は世界制覇1度に日本初の五輪2連覇。立は「こんなところでは喜べない…あ、こんなところは怒られる」と笑いつつ「五輪で優勝しないと肩を並べられない。慢心したら先には進めない」。想像以上に早く大きく成人した。【木下淳】

◆斉藤立(さいとう・たつる)2002年(平14)3月8日、大阪府生まれ。東京・国士舘高-国士舘大3年。5歳から柔道を始める。191センチ、165キロの体格と父譲りのセンス、柔らかさで小中高すべて日本一。男子100キロ超級で18年全日本ジュニア体重別、18、19年全国高校総体など優勝。21年のグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会初制覇。得意技は体落とし、払い腰、内股。

◆斉藤仁(さいとう・ひとし)1961年(昭36)1月2日、青森市生まれ。国士舘高-国士舘大。1984年ロサンゼルス、88年ソウルの両五輪で95キロ超級連覇。83年世界選手権無差別級優勝、86年アジア大会95キロ超級優勝、88年全日本選手権優勝。引退後は全柔連の強化委員長、国士舘大教授を歴任。15年1月20日、肝内胆管がんのため54歳で死去した。180センチ。