男子フルーレが、男女計6種目を通じて日本の団体史上初となる金メダルを獲得した。初の決勝で中国に45-35で逆転勝ち。27日の個人で自身初の銅メダルに輝いた主将の松山恭助(26=JTB)と21年東京オリンピック(五輪)で個人&団体4位の敷根崇裕(25=ネクサス)に、世界ジュニア王者の飯村一輝(19=慶大)とリザーブ鈴村健太(24=大垣ケーブルテレビ)が融合し、過去最高だった10年大会の銅、五輪では12年ロンドン大会の銀を上回った。前回3位の女子サーブルは準々決勝でフランスに敗れて6位。昨年に並ぶ1大会最多のメダル4個を取って閉幕した。

日本の“お家芸”フルーレが悲願の頂点に立った。45点を先取か、時間内に多く得点したチームが勝つ団体。アンカー敷根が40-35から一気に5連続ポイントで中国に引導を渡し、マスクを脱いだ剣士たちがピスト(競技コート)上に歓喜の山をつくった。松山主将は「実感が湧かないけど、新しい歴史をつくれたことがうれしい」と感動した。

準々決勝で宿敵の韓国に45-41、準決勝で香港に45-35。この時点で世界選手権では未到の決勝に駒を進めた。松山、敷根、飯村が中国と一進一退の攻防を繰り広げ、突き放す。東京五輪では個人、団体ともメダルの境界線で泣いた敷根は「何としても史上初の金を取るつもり」で奮戦した。

言葉通り、男子フルーレ団体は10年の3位(太田雄貴、千田健太、淡路卓、三宅諒)が過去最高成績で、この4人は12年ロンドン五輪団体で銀メダルを獲得も金はなし。レジェンド太田氏らの黄金期でも届かなかった頂点に初めて立った。

三宅は当時を「太田雄貴とその仲間たち」と評したが、今は違う。松山は昨年のワールドカップ(W杯)で日本勢12年ぶりに初優勝し、敷根も東京五輪4強。飯村は22年の世界ジュニア選手権を制し、全員が個で世界と渡り合える。会場で見守った太田氏も「史上初の快挙!!! 本当にすごい!」と興奮。飯村の父栄彦さんは太田の現役時代のコーチでもあり、まさに“2世”たちがチームとして本家を超越した。

かつてインターハイでフルーレしか実施されない時代もあった伝統種目だが、近年は主役の座を奪われていた。「エペジーーン」こと男子エペの団体が東京五輪で悲願の金メダルを初めてつかみ、女子サーブルの江村美咲は今大会、男女を通じて日本勢初の2連覇。その中で「やはり日本はフルーレ」と自負を忘れなかった松山らが復権を印象づけ、パリ五輪の出場権獲得へ最も選考ポイントの高い大会を初制覇。東京五輪時は6位だった世界ランキングを1位まで浮上させた。

7年前からの約束だ。16年リオ五輪で引退表明した太田氏から、練習相手だった松山は「借りを返してくれ」と19歳で主将に後継指名された。五輪の金メダルに他ならない。「うれしいけど終わりじゃない」と松山が言えば、敷根も「今回が復活の第1歩」。フェンシング発祥国フランスに真の頂点がある。【木下淳】

◆フルーレ フェンシング3種目の1つ。胴体部への突きだけ得点になる。先に剣先を相手に向けた選手に攻撃権が与えられ、相手が剣を払うなどし、かわせば攻守の権利が移る。団体は延べ9人が5ポイント先取か3分ずつ戦う。08年北京五輪の男子個人で太田氏が日本フェンシング史上初の五輪メダルとなる銀。世界選手権では15年に太田氏が個人で金を獲得している。

▼飯村「パフォーマンスを最大限に出し切ることができた。このチームで取れた金メダルを誇りに思う」

▼鈴村「最高の気分。うれしい以外の言葉が見つからない。やったぞー!」

◆鈴村健太(すずむら・けんた)1998年(平10)9月15日、岐阜県生まれ。法大。父元宏さんが監督を務める大垣南高で技を磨く。母も元選手。ロングアタックが武器。182センチ。右利き。

◆敷根崇裕(しきね・たかひろ)1997年(平9)12月7日、大分県生まれ。法大。日本協会の強化本部長だった父裕一さんの影響で4歳で開始。17年世界選手権個人3位。持ち味は攻撃。182センチ。右利き。

◆飯村一輝(いいむら・かずき)2003年(平15)12月27日、京都府生まれ。慶大。太田氏と同じ大山崎町のクラブで始め、小中高で日本一。22年4月に太田氏を上回る日本史上最年少の18歳3カ月でW杯の3位に。169センチと小柄もスピード最速。右利き。

◆松山恭助(まつやま・きょうすけ)1996年(平8)12月19日、東京都生まれ。早大。太田氏以来インターハイ3連覇。19歳で全日本V。東京五輪代表。22年11月に日本男子3人目のW杯制覇。オールラウンダー。180センチ。左利き。