飛び込み男子で五輪6大会出場の寺内健(43=ミキハウス)が14日、大阪・八尾市内で引退会見を行った。
紺色のスーツ姿で登場した寺内は「この時が来たんだなという思いでいっぱい。40歳を超えてから引退はずっと(頭に)あった。(21年)東京(五輪)かな、(今夏の)福岡(世界選手権)かなと。年末にひざを痛めて、追い込んできた練習が全くできない。自分らしい演技が担保できない」と引退の理由を説明した。
小学5年から寺内を指導してきた馬淵コーチは「32年前からドラマは始まった。(寺内が)大阪プールで飛んでひと目惚れ。私の夢はこの少年にかければ間違いない。今でも忘れられない一瞬。その一瞬で寺内と私の人生、世界との戦いが始まり、6回も五輪の夢を達成してくれた。どちらにも信念があった」と振り返った。
飛び込み界の第一人者。兵庫県出身。JSS宝塚で本場中国出身の馬淵崇英コーチに鍛えられ、15歳で挑んだ96年アトランタ五輪から08年北京五輪まで4大会連続出場。01年世界選手権の3メートル板飛び込みで銅メダルを獲得。日本男子では五輪を含めて世界大会で初めて表彰台に立った。09年に一時引退したが、11年に現役復帰して16年リオデジャネイロ五輪代表入りした。
21年の東京五輪は、坂井丞と組んだ男子シンクロ板飛び込みで5位入賞。個人種目の板飛び込みで12位に入った。最後のジャンプを終えると、無観客で選手、コーチらしかいないスタンドから拍手が降り注いだ。その拍手は長く続いた。世界のダイバーたちが40歳を超えてオリンピックの決勝に残った寺内を「レジェンド」と認めた瞬間だった。
寺内は、32年間を通して、思い出の大会を質問されて「東京五輪の個人種目でコーチと抱き合った時に拍手が起こった。世界のダイビングファミリーから少し認められた」と振り返った。
その上で「レジェンドと言っていただけることはうれしいですが、レジェンドになれなかった思いはあります。(五輪で)メダルをとって『ありがとうございます』といいたかった」と率直に言った。
現役最後となった9月1日の日本選手権では左膝痛を抱えながら坂井とのシンクロ板飛び込みで、8度目の優勝を飾っていた。
当面はミキハウススポーツクラブに所属したまま、相棒だった坂井の24年パリ五輪挑戦を、コーチ役としてアシストする。指導者の道は本格的に歩むかはこれから考えることになるが「後輩たちに経験を伝えていきたい。飛び込みを知ってもらって、体験してもらって、裾野を広げることにも寄与したい。ここで引退できることをすがすがしく思います」。最後まで涙はなく、笑顔で締めくくった。【益田一弘】