今大会初先発の日本代表WTB福岡堅樹(27=パナソニック)が、運命の一戦でチームを8強に導いた。前半終了間際に、CTBラファエレのゴロキックに反応して3試合連続トライ。

後半2分には、相手ボールを奪取して独走し、ボーナスポイントを決定づけるチーム4本目のトライを挙げた。WTB松島のチーム初トライを演出するなど「プレーヤー・オブ・ザ・マッチ」に選ばれた。大会前に右ふくらはぎを負傷するなど、けがに泣かされてきた男が逆境をはね返した。

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ボールがタッチを割ると、福岡は喜びをかみしめるようにピッチ上に突っ伏した。込み上げる万感の思い。興奮を隠せなかった。「この時のために全てを犠牲にしてきた。本当に出し切った。やり切った。歴史を変えられた」。普段は冷静な男が、熱く語った。

前半終了間際。敵陣10メートルライン付近でボールを持ったCTBラファエレが、相手防御裏へ意表を突くゴロキック。タッチライン際にいた福岡が、ギアを上げた。不規則に跳ねるボールを右手で取ると、動きが止まった相手2人をかわしてインゴールへ飛び込み、3試合連続トライを決めた。後半2分には絡んだ相手選手からこぼれたボールを、地面に落ちる寸前に直接キャッチ。「低いボールは得意。案外普通に取れました」と、そのまま約40メートルを独走し、チーム4本目のトライ。右手でボールを高々と上げ、感情を爆発させた。

逆境を乗り越えた。大会直前に右ふくらはぎを肉離れ。歩行から徐々に走りだし、途中出場の直近2戦で連続トライを決めた。今大会初先発で「持ち前のスピードで駆け回し、チームに勢いを与えたい」と気持ちは高ぶった。20年東京五輪の7人制終了後に医学の道へ進むため、15人制で臨む最後の国際舞台だった。

50メートル5秒8の快足を支える両脚は、常にケガと隣り合わせだった。福岡高3年だった10年12月30日、全国高校大会2回戦の大阪朝鮮高戦。タックルを受け、踏ん張った直後にピッチへ倒れ込んだ。右膝の前十字靱帯(じんたい)断裂-。高2の夏合宿には左膝も同じ箇所を断裂していた。筑波大医学群を目指した浪人中、手術した右膝のボルトを取った。直前、自身の夢を知る担当医の前田朗氏(57)に「見てみたい?」と尋ねられた。迷うことなく、首を縦に振った。

手術室で下半身の麻酔を施され、枕を起こした。自分の右膝に内視鏡が入り、2人でモニターを見つめながら軟骨、半月板…と状態の説明を受けた。「面白かったし、いい経験だった。スポーツ整形を志すきっかけになった。自分がこのレベルまでスポーツをやった。机上の空論にはなりたくない」。前田氏からは「君らみたいなトップアスリートの経験がある人が来ると、もっと患者さんのためになる」と背中を押された。自分にしかできない使命と胸に刻んだ。その前に見たい光景がW杯8強だった。

たくさんの人に支えられて大舞台に立った。この日もそうだった。「結果だけ見ると自分が注目されるけど、チームの全てがつながっている」と感謝。そして次戦へ「全てを出し切って、また新しい歴史をつくりたい」。日本最速の男が、チームを先導する。【佐々木隆史】

◆福岡堅樹(ふくおか・けんき)1992年(平4)9月7日、福岡・古賀市生まれ。5歳でラグビーを始め、福岡高3年時に全国高校大会(花園)出場。医者志望で複数の大学からの誘いを断り、1浪後に筑波大(情報学群)に進学。2度の大学選手権準優勝に貢献し、16年からパナソニック。日本代表37キャップ。祖父は内科医、父は歯科医。175センチ、83キロ。