<伝説のスカウト木庭教氏を悼む>
昨年11月、大阪市内でお会いしたのが最後になってしまった。楽天のスカウトが研修会を開き、その講師役として木庭さんが招かれた。若いスカウトに木庭さんは言った。「毎日、球場に行くのが楽しみだった。今日はどんな選手に出会えるのか、それを考えただけでもワクワクした」。プロ野球選手出身ではない。広島商で野球部に在籍していたとはいえ、控え選手だった。小柄な体で、全国を歩き回った。好奇心の塊で、我々新聞記者の仕事とどこかしら共通点があった。
ある時、どうしても見ておきたい無名の高校生選手がいた。しかしライバル球団には知られたくない。その選手は第3試合に出場予定だった。木庭さんは他のスカウトを巻くために第2試合が終わると「今日の仕事は終わり。みんな帰ろうや」と声を掛け、球場を引き揚げた、ふりをした。すぐに引き返し、1人だけでその選手の動きをチェックした。「大金を積んだ選手が働くのは当たり前。いかに安く選手を取って、活躍する選手に育てるか。それが醍醐味」。裏金や、ルール違反とは無縁のスカウトだった。
スピードガンを初めて手にしたスカウトとしても有名だった。しかし、「スピードガンの数字を鵜呑みにしたらいかん」が口癖だった。細身の投手を好み、ズドンという重い球質より、ピュッというボールのキレを重視した。数字では計れないもの。大野、川口らはまさに木庭さん好みのピッチャーだった。己の眼力には絶対の自信を持っていた。だからスカウトの七つ道具の1つ、ビデオカメラだけは絶対持たなかった。その眼力を信じてくれたのが古葉監督であり、上田監督であり、仰木監督だった。木庭さんの獲ってきた選手は黙って使った。大洋時代、木庭さんのスカウトした高卒の谷繁(現中日)を古葉監督はすぐに使った。
また「打撃なんて入ってからいくらでも良くなる」と足の速い選手、守備のうまい選手を好んだ。高橋慶彦は高校時代投手だったが、甲子園で走っている姿を見て一目ぼれ。野手で入団させた。その後の活躍は言うまでもない。
アマチュア野球記者時代、いつも木庭さんといっしょに野球を見た。いろんなことを教えてもらった。自分にとってかけがえのない野球の師匠だった。ありがとうございました。そして、さようなら。(電子メディア局・福田豊)




