日本ハムからFA宣言していた森本稀哲外野手(29)が1日、オファーを受けていた横浜へ移籍することを正式に表明した。残留との2つの選択肢で苦悩したが、セ・リーグ3年連続最下位に沈むチーム再建への強い意欲が決め手になった。日本ハムを弱小球団から強豪に変身させた師匠の新庄剛志氏(38)のように、エンジョイ・ベースボールで救世主を目指す。

 しんみりと言葉をつないでいた、ひちょりが突如、本領を発揮した。まずターゲットに定めた舞台は、入団発表。「楽しみにしていてください。とにかく派手にやりたい。(横浜の加地球団)社長から、思い切りやっていいと言われているので、お言葉に甘えます」。いきなりキャラを全開で、猛アピールをかけた。

 球界を沸かせてきた「劇団ひちょり」の第2のステージを、横浜に決めた。稲葉、金子誠ら日本ハムの先輩からも慰留されたが、いばらの道を進むことにした。「挑戦したいという気持ちが強かったし、その気持ちにうそはつけない。神奈川の方の笑顔を取り戻したい」。3年総額3億円以上の条件ではなく、自分の力で打開の可能性がある、低迷が続く新天地を選んだ。

 モデルケースは、師匠と慕っている新庄氏だ。04年、北海道へ本拠地を移転した日本ハムへ入団。数々のパフォーマンスなどで盛り上げ、引退した06年には44年ぶり日本一を果たした。移転前までBクラスの常連だったチームを、個の力で変身させた。ひちょりは「新庄さん、稲葉さんみたいなところまで、まだ僕は届いていないけれど、とにかく元気を与えたい」と話した。

 FA宣言後、新庄氏にメールで相談。「100文字以上入れたのに、たった一言だけ。『好きにすれば』でした」と拍子抜けも、複数の候補から選んだ背番号5は阪神、メジャー2球団で同氏が背負っていたことで決めた。この日、内川と入れ替わる形で入団決定。ひちょりは「僕に内川君みたいな力、技術はない。でも負けない元気がある」と力を込めていた。【高山通史】

 [2010年12月2日7時41分

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