平幕琴勇輝に、また珍事が起こった。9日目に左膝関節水腫で休場して不戦敗となったが、翌10日目のこの日から再出場した。15年春場所でも同じように、8日目に休場して不戦敗となり、翌9日目から再出場しており、自身2回目の経験となった。

 不戦勝不戦敗制度の歴史は深い。初日から全力士に適用されたのは昭和3年3月から。この制度ができるまでは、相手が休むと自分も休みになった。つまり不戦敗扱いにはならないので、優勝争いなどの場合に故意に休む力士がいたという。それを防ぐためにできた制度だ。その制度ができてから、過去に不戦敗した翌日に再出場したのは7人いる。1人で2回経験したのは初めてとなった。

 なぜ休んで再出場したのか。力強さが戻らなかったのか、千代大龍にあっさり押し出された琴勇輝は「今日なんとしてでも出るために、1日時間を取りたかった。無理に出てその後を棒に振りたくなかった」と説明した。西12枚目は、十両陥落も気になる番付。不戦敗は1つ星を落とすことになるが、15日間という長い目で見た判断だった。後はそれを、生かすだけだ。【佐々木隆史】