四肢を失ったヤクザが借金取りとして生きる姿を描いた内容が過激すぎるあまり、出版社が出版を断り、電子書籍化された“発禁小説”を映画化した「木屋町DARUMA」が全国7つの劇場で公開されている。榊英雄監督(45)が、日刊スポーツの単独取材に応じた。遠藤憲一(54)が演じた四肢のない主人公を映像化した技術、父の借金のかたに風俗に売り飛ばされ、風俗嬢に身を落とす女子高生を演じた、武田梨奈(24)を厳しく演出した真意から、今の映画界への危機感まで熱く語った。

   ――◇――

 -なぜ“発禁小説”を映画化したのか?

 「丸野裕行さんが原作を書いたんですが、出版社が話を受けなくて出版できないという。本を出せないなら、映画化して話題を作った方が面白いよね、って僕がたきつけて、2人で目指しました。(東京国際映画祭コンペティション部門に出品した12年)『捨てがたき人々』を撮った翌13年のことです」

 -「木屋町DARUMA」の、どこに引かれた?

 「人間くさい…それが、僕が原作にひかれたところなんですよ。(主人公が)ヤクザで四肢がないということよりは、男たちの悲しき話…人間くさい人間たちが、どううごめいて生きているかに興味があり、そこにベクトルを置いた。男がいかにして生きて、死ぬか…ハードボイルドか分からないけれど、そういう意味で見ていたんです。長渕剛さんの『いつかの少年』の中にも、人生の始まりと終わりについて歌った歌詞があります。名言だと思うし、僕はそれを探し求めて映画を撮っている気がする。僕も45歳になり、人生の折り返し地点が過ぎて、どう生きて、どう死ぬかを考える時期。その通過儀式の1発目として『捨てがたき人々』を撮ることができたのが大きかった。僕は俳優をやってきて、自主映画に進んだ監督で、何の方法論もないまま全て我流でやってきた。それが『捨てがたき人々』を撮って、それまでは俳優が映画を撮ってます、と控えめに言ってきたのをやめて、堂々と監督だと言っていこうと思った。その次に、エッジの効いたものをやりたいと思った時に出会ったのが『木屋町DARUMA』です」

 -原作は実話がベース

 「昭和30、40年には、こういう状況は京都、神戸周年に多かったようで、実際にそういう(主人公のような)人もいたそうで…実録ものですね。障害者を使ってヤクザが金を取り立てるやり方も事実だそうです」

 -冒頭で、遠藤演じる四肢のない主人公が「うんこ~!!」と叫ぶ場面がある

 「そこを何のてらいもなく言う、遠藤憲一さんはすばらしいと思います。テストから振り切ってしまう」

 -同じシーンでは、遠藤が武田梨奈の股ぐらに頭を突っ込む

 「そのシーンも、台本にはなかったですね。武田さんのスカートに入っていくシーン…最高じゃないですか。武田さんも、ちゃんと受けてくれるし。エンケンさんは、良い意味でパッション、瞬発力がすごい。(本番では)テスト以外のことをやってきたり」

 -武田には「ブス」「(現場から)帰れ」など言って、かなり追い込んだ

 「現場で結構、追い込みました。『ブスだな』『ボケ、カス』『はい、じゃないよ。考えろ、芝居を』『下着も、もっと色っぽく着なさい、あんた』とか」

 -その意図は?

 「僕は役者に、役として、その瞬間を生きてほしい、(役と)表裏一体になってほしいから、武田さんを追い込みました。台本に書かれていることをやるのは、普通だと僕は思うんですよ。だからって、アドリブをやれって言うんじゃなくて、もっと世界を見せてくれ、ということ。書かれていないことを最後に見せてほしい…台本に書いていることを、サラッとやられるのが1番、嫌なんですよ。肉体、精神を通じ、何かを吐き出すのが芝居。武田さんは、もともと、すばらしい女優。すごく真面目で優等生な子なので、打てば響くんですけど、そこに何か、もっと不純物を入れるために追い込んだ。女子高生がどんどん、落ちていくためには、俳優として自分の中に、ある程度、刺激物を入れた芝居をしなければいけない。そこに入るために、僕が強引に間口を広げたのは、役を成立してほしかったから。下着姿や、口に拘束具をはめられたり、顔をベロベロなめられたり…人生初のことばかりだったと思いますが、本当に見事にやってくれました。武田さんでベストだったし、彼女がいなければ、この映画にはならなかった」

 -遠藤が演じる、四肢がない男を全編、どうやって撮ったのか

 「グリーンの手袋をしたり、うまく(四肢が)ないように動いたり、服や浴衣を着たりで、やるわけです。シチュエーションによっては、フレームの見切れで撮ったり、車いすのシーンは単純に正座しているだけ。。最後の方で、エンケンさんが寺島進さんと対峙(たいじ)する場面がありますが、川の向こうから引きで撮っているんですけど、あれ、単純に抱きついているだけですからね。それでも(遠藤の)足がないように見えるじゃないですか? 何カットかだけCGを使っていますけど、案外、アナログなんですよ」

 -創意工夫をしたのは予算が厳しいから?

 「CGの予算も少ないので最低何カットという予算を出してもらって、どうしても使わなきゃいけないところを台本でシミュレーションした。ところが、いざ芝居をしてみると案外(CGを)使わなくても、いけるよね。アップが多くなるかもしれないけれどフレームで切ると(手足)見えないよね、という感じです」

 -こういう過激な作品は映画でなければ成立しない企画である一方、映画界も近年、性表現や暴力表現を避ける傾向にある

 「2年前と今でも変わりましたよ。(上映する)劇場を見つけるだけで、こんなに変わったのかと。題名のDARUMA=だるまが、差別用語だというのは分かっていたんです。それでテレビが流せないという…自主規制なんですね。劇場も『題名を変えてくれたらいい』『(上映に抗議する)圧力団体が来た場合、責任を取ってくれるならかけます』とか条件付きが多い。そんなんじゃ、お前ら映画じゃないだろ、何なんだよ…映画の志は、どこにあるのか? という感じ。上映する劇場が半年くらい決まらなくて、先に予告編をインターネット上で解禁したら、『これは面白い』と言って電話をかけてきてくれたのが(上映中の)渋谷シネパレスだった。別に、こういう映画を作らなければいいじゃん、って決めちゃえばいいんですけど…いろいろな映画があって、映画じゃないですか。『木屋町DARUMA』は映画で見るべき作品なんですよ」

 -資金集めは苦労した

 「丸野君が京都で出資者を集め、最終的に『苦しい』と言った時『俺が宣伝費、出すわ』と一部、僕も出しました。自分が大好きな原作だし、乗り掛かった船。『プロデューサー陣がへこたれるなら、俺が何とか映画にするわ』と言って完成させたんです。これだけのスタッフとキャストが集まってくれたんだから、ちゃんと最後まで頑張ろうよ、というところが、僕の力を入れたところですね」

 -「捨てがたき人々」もしかりですが、人間の業を描く傾向が強い

 「そういうところを描くのが映画だと思いますし、、そこに自分のまなざしを向けて撮りたいという気持ちが、今は強い時期です。性や暴力表現から逃げるのが1番怖い。最近(の日本映画界)は危機的状況だと思いますよ。『捨てがたき人々』もそうですが、別に道徳的な映画じゃなくていいんですよ。ジョージ秋山さんが原作の漫画でも書いていますが、飯食って、クソして、抱きたい…それが1番の本能だし、人間なんて、こんなもの。男なら『いい女なら1回、やってみたい』と思うのが普通…つまり本能をどうあばき、自分なりにどう見て撮るか、ということが映画監督の仕事だと思います」

 -近年は分かりやすく、楽しいエンターテインメント作品が好まれる傾向が強い、と映画業界では言われている一方、批判的な監督、製作者も少なくない

 「何でもかんでも分かりやすい映画を作りすぎてはいけない。監督が描いた展開を、観客にそこはかとなく理解していただき(観客が頭の中で)次をつなげて映画に追いついていく…映画を見るって(作り手と観客が手を取り合って)踊るようなものだと思う。その相乗効果で(レベルが)上がっていかなければいけないのに、今は落ちている。観客の見る力を養うことを信じて、作っていかないといけないと思っています」

 映画でしか見られない、悲しくも壮絶な人間の生き様が、スクリーンの中にある。【村上幸将】

 ◆「木屋町DARUMA」 京都・木屋町を牛耳る組織を束ねたヤクザの勝浦茂雄(遠藤)は、5年前の事件で四肢を失った。今は後釜に入った古沢(木村祐一)が用意した世話役の坂本(三浦誠己)とともに、四肢のない体で債務者の家に乗り込み、嫌がらせして回収する借金取りとして生きている。新井(寺島進)の家では、娘の女子高生友里(武田)に酌をさせ、体をなめ、父の借金のかたに風俗に売り飛ばした。次に取り立てに入った真崎という家族は、勝浦を裏切り金と麻薬を持ち逃げした元部下サトシの知人だった。