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忌野清志郎さん死去…58歳ロックに生きた

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ステージで勢いよくマイクを回す忌野清志郎
ステージで勢いよくマイクを回す忌野清志郎

 伝説のロックバンド「RCサクセション」を率いるなどロックスターとして活躍した忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため都内の病院で亡くなった。58歳だった。06年に喉頭(こうとう)がんを患い、昨年には左腸骨に転移。完治を目指して療養に専念していた。歌手デビューから40年目、幅広い世代を熱狂させた歌声と「ベイビー」「愛し合ってるかい!」のシャウトはもう聴くことができない。

 ド派手な衣装とメーキャップ。過激なメッセージを叫んでは若者や社会に大きな影響を与え続けてきた「キング・オブ・ロック」が、約3年間に及ぶがんとの闘いの末に旅立った。関係者によると入院はしていたが、親しい友人や関係者に心配かけまいと連絡はしていなかった。ところが、数日前から急激に容体が悪化。苦しむこともなく最期を迎えたという。それだけに覚悟していなかった友人のミュージシャンらは深い悲しみに暮れた。2日夜、遺体が安置された都内の自宅は関係者が出入りして慌ただしかったが、どの顔も悲しみで沈んでいた。

 のどにがんが見つかったのは、06年7月だった。ホームページ上でがんを「新しいブルース」と表現し「何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば。またいつか会いましょう。夢を忘れずに!」と前向きに受け止め、活動を休止した。ただし、声帯を失う手術だけは拒否して、放射線治療や抗がん剤治療、菜食の民間療法などで完治を目指した。

 08年2月には「完全復活祭」と題した2年ぶりの単独ライブを日本武道館で開催。清志郎さんのためにと、RCサクセションの元メンバーたちが17年ぶりに集結。生来の爆発的な声量で24曲を歌いきり、心配する約1万3000人のファンの度肝を抜いた。「2年もよく寝たぜ!」と病を笑い飛ばし、復活を確信したはずだった。

 ところが、数カ月後には左足に痛みを発症。左腸骨にがんが転移していたことが判明した。同年秋に予定していた日比谷野外音楽堂ライブなどをすべてキャンセル。公式ホームーページに「このくらいのことは覚悟してたんで、ぜんぜんヘコんでないから。ブルースはまだまだ続いているというわけだ。すぐに帰ってくるから応援してくれ!」と記し、再び治療に専念した。

 昨年11月に20年来の友人で「がん友」と呼び合い、励まし合っていた筑紫哲也さんを亡くし「共に病気と闘っている仲間意識があったので、とても残念です」と、ショックを受けた。それでも、今年6月に行われるイベントのテーマ曲の制作に意欲をみせるなど、復活を100%信じていた。

 反戦、原発、自衛隊など多くの社会的メッセージを問題提起し、タブーに挑戦しつづけた不世出で不屈のロッカーは逝った。3日にも近親者のみで密葬が行われるが、再会を信じていたファンのためにも、9日に青山葬儀所で一般人も弔問できる告別式が営まれる。

 [2009年5月3日8時58分 紙面から]


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