[ 2014年2月16日9時13分

 紙面から ]得点を待つ高橋。結果は6位入賞だった。右はモロゾフ・コーチ(撮影・井上学)<ソチ五輪:フィギュアスケート>◇14日◇男子フリー

 バンクーバー五輪フィギュア男子銅メダルの高橋大輔(27=関大大学院)が、来季以降も現役を続行する可能性が浮上した。昨年11月末の右膝負傷の影響で、フリー冒頭の4回転トーループに失敗して164・27点。4位だったSPから順位を落として合計250・67点で6位となった。不完全燃焼に終わり、現役続行か、休養を挟んでの復帰が選択肢として浮上した。

 表情を変えることはなかった。高橋は取材エリアで、チャンの得点が羽生を下回ったことを知った。事実上の金メダル確定に「これから彼が日本を背負う。メダルが出るのは日本の一スケーターとして誇りに思う」。笑顔も涙もない。悔しさを隠して淡々と言った。

 意地だった。4回転ジャンプはソチ入り後、SPも含めて23回連続失敗。それでもフリーの冒頭で挑んで失敗。合計6位に沈んでも「そこは外せない。最後まで希望は捨てずにいきたかった。1本は決めたいと。そこ以外はできたかなと思う。諦めずに精いっぱいやった」と潔く言った。

 昨年11月26日に右膝負傷。08年に手術した古傷の近くで、陥没骨折寸前だった。1月18日に水を抜き出国。長光コーチは「トーループは右足で跳んで右足で下りるから」。4回転ジャンプで、最も重要な右足の影響が残った。

 高橋は、最後の五輪を終えて「最高に楽しいが、きつい大会。気持ちとしてはやり切ったかなと思うが、演技としてはやり切ってないかな。悔しい気持ち。最後にちゃんと出し切れなかったというところ」。

 10年バンクーバー五輪で銅獲得も4回転には失敗。ソチに向けて、3年計画で「SPとフリーで合計3本」を掲げた。昨年11月のNHK杯は、2本決めて268・31点で優勝。羽生の金メダルスコアは280・09点。3本目があれば、優勝争いができる得点だった。関係者には「僕はこれからも伸びる。進歩できる。4回転さえ普通に跳んだら結弦に負けることない」と話している。

 ソチに同行した主治医、社会保険京都病院の原邦夫医師(58)は、手術した右膝と、昨年11月の右脛骨(けいこつ)骨挫傷は別ものと判断している。「手術した半月板と靱帯(じんたい)はしっかりとしている」。1カ月の休養があれば、骨の内出血は回復する。通年リンクがある関大は高橋の意思を尊重する。18年平昌五輪の可能性は低いが、現役続行でも、休養を挟んでの復帰でも支援する。

 高橋はまず、3月の世界選手権(さいたまスーパーアリーナ)に出場する予定。9日の団体男子フリーでは31歳のプルシェンコを見て「本当に心から滑っている。僕も最後まで心からやり切れたらいい」。右膝負傷の影響で、最高の演技を披露することはできなかった。4回転トーループの無念を残し、最後の五輪は幕を閉じた。【益田一弘】

 ◆高橋大輔(たかはし・だいすけ)1986年(昭61)3月16日、岡山県生まれ。岡山・倉敷翠松高-関大-関大大学院。06年トリノ五輪8位。08年の右膝手術を乗り越えて、10年バンクーバー五輪で銅メダルを獲得。10年世界選手権と12年GPファイナルはともに日本男子で初めての優勝。身長165センチ、体重59キロ。