箱根駅伝の2区(鶴見~戸塚)は、伝統的に各大学のエースが集結する。23・2キロと距離が長く、後半に上りがある難コースで、見どころも多く、「花の2区」と言われる。沢木啓祐、瀬古利彦、渡辺康幸らも、ここを走破して五輪代表選手へと駆け上がった。2区はなぜエースが走るのか、何が人を引きつけるのか。宇賀地強(コニカミノルタ=駒大OB)、諏訪利成(日清食品=東海大同)、三代直樹(現富士通広報=順大同)の経験者3人に話を聞いた

 2区を駆け抜けた多くのランナーは言う。「もう走りたくない。でももう1度挑戦したい」。限界ギリギリの闘いを強要する23・2キロの難コースは、一方で選手たちのチャレンジ精神もかきたてる。

 スタート地点の2区鶴見中継所。各校のエースたちは、まず「優しい顔」に誘われる。最初の10キロはなだらかな下り道が続く。追い風も背中を押してくれる。沿道にはどの区間よりも多くの観客があふれる。

 宇賀地

 間違いなく最初の10キロは箱根駅伝のどの区間よりも楽しい。

 三代

 本当に走りやすいんですよ。ちょっと頑張れば(最初の10キロ)28分台で入れます。

 諏訪

 8キロくらいに横浜駅があって両側にすごい人がいた。ほかの区間だと左側の歩道にいて、反対側はポツポツいる程度なんです。気持ちよかった。

 しかし、「優しい顔」は平常心を狂わせる魔力を秘めている。タスキを受けた時点で、まだ各校の差は開いていない。混戦の状況で2区は始まる。各校のエースは、自分の力でチームを勢いづけたいと意気込む。周囲の期待も高い。必然的にスタートから高速レースに引きずり込まれる。

 宇賀地

 1年の時は沿道の応援もすごくて、何も考えられなくて、ただ周りの選手について走ったという感じでした。逆に3、4年の時は「勝負したい」という気持ちが強くて、空回りしました。

 三代

 意地のぶつかり合いです。誰もが前半は抑えようと思っている。でも、誰かが行ったら行ってしまうんです。僕もハイペースで入る性分なんですが、何とか「前半を抑えろ」と言い聞かせていました。

 宇賀地は駒大史上初めて4年連続2区を走ったが、「悔しさしかない」と振り返る。一方、三代は前半にはやる気持ちを抑えて走り、99年に渡辺康幸の区間記録を2秒更新した。

 14キロ地点で最初の難所がやってくる。1・5キロで20メートル上る権太坂。ハイペースで入った選手が次々と遅れ始める。だが、それは序章にすぎない。本当の2区の魔物は突然現れる。横浜新道と合流するその一瞬、人が消える。残り3キロ。最大の難所の始まりだ。

 宇賀地

 20キロぐらいまでフワフワした感じで、声援が押してくれる。でも、応援が途切れて突然、現実に戻される。自分の呼吸音が一段と大きく聞こえて、「きつい」って。

 最後の3キロは1キロ上り、1キロが平ら。そして最後の1キロの上りは「まるで反っているように感じる」(諏訪)。下見では見えていた3区の戸塚中継所は、沿道の人と上り坂にさえぎられ、まったく見えない。

 三代

 100%近い力を20キロで出して、そこであの上りがくる。残っているごくわずかな力を振り絞るしかない。本当にきつい。

 諏訪

 最後の坂で本当の力が分かる。ふるいにかけられている感じがした。応援にきてくれた先輩が、沿道を一緒に走ってくれた。でも最後の1キロくらいから、先輩の方が速く走っていて、悲しかったですね。

 宇賀地

 最後の1キロは本当に長かった。「頑張ろう」と思っても、中継所が見えないからすごくきつい。

 本当の力がなければ、2区は攻略できない。99年に区間新記録を出した三代は最後の3キロを8分台で走った。この記録はいまだ1人だけだ。3度目の2区という経験、練習量と体調に裏打ちされた自信、そして闘志。その3つが見事にそろった結果だった。

 楽しく、激しく、苦しい。まるで人生が凝縮されたような2区は、選手たちのその後にも影響を及ぼす。

 宇賀地

 2区は厳しい先生。1年間やってきたことを箱根駅伝さんに提出して、赤点で返ってくる感じ。悔しさ、情けなさの方が大きい。でも、その経験がなければ、僕は今ここで走っていないです。

 諏訪

 2区を走っていなければ、陸上を続けることはなかったと思う。まだ力を出し切っていない、まだいけると思わせてくれる。

 試練を乗り越えた選手も、また乗り越えられなかった選手も成長させる。魔性の2区が、今回も待っている。

 【取材・構成

 今村健人、阿部健吾】