柔道女子日本代表の園田隆二監督(39)の辞任が決まった。1月31日、練習時などの暴力行為、暴言などで選手15人に告発されていた問題で、東京・文京区の講道館で会見した。暴言などを事実と認め「信頼関係があると思ったが、一方的だった。今回の件で、これ以上強化に携わるのは難しい」とし、辞意を表明した。全日本柔道連盟(全柔連)に進退伺を提出するが、上村春樹会長(61)は日刊スポーツの取材に対し、辞意を受け入れる考えを示し、園田監督の辞任が事実上決まった。当面は代行監督を立て、欧州遠征などに対応することになる。

 額に汗し、うっすらと伸びたくちひげが、苦悩の跡を感じさせた。紅潮した顔の園田監督は絞り出すように言葉を並べた。「深く反省し、誠に申し訳ありませんでした」。無数のカメラのフラッシュを浴び深く頭を下げた。眠れていないのか、目がうつろになる。憔悴(しょうすい)しきった様子で、1つ1つ質問に答えた。

 最初に「今回の件で、これ以上強化に携わっていくのは難しいと判断し、進退伺を出します」と言った。決意したのは、選手のJOCへの告発が明らかになってから。「選手のことを考えると今後に不安な部分も出てくる」と、理由を説明した。

 前日に所属の警視庁関係者と話し合いを持ったが、「全柔連とは話をしていません」とし、全柔連幹部との接触は否定。辞意表明は独自の判断で、5日に出発予定だったパリの大会も「行きません」と言い切った。混乱の中、進退伺を用意できないでいるが、早急に用意し、今日1日にも提出する。

 会見では、暴力や暴言について「事実です」と認めた。「暴力という認識はなかった。強くなってほしいという思いから。信頼関係はあると思っていたが、一方的なものだった」。昨年9月、選手は暴力と受け止めていると認識してから自問自答した。「たたくことが暴力になるのか。それに気がつかなかった」と言った。「金メダル至上主義があるのは事実。そこの部分で選手を追い詰めたのかも。自分は伝える力が不足していた」とも反省した。

 「死ね」という暴言も認めた。「もちろん、前後の脈絡はあるけれど、言ったのは事実」。内容の悪い試合後、選手と話す中で出た。「後から、そういう意味じゃないと話はしたが、選手を傷つけてしまった」。消え入りそうな声だった。訴えにはコーチの暴力もあったが「私以外にたたくコーチはいない。私が特殊だったのかと思う」とした。

 この会見を受け、上村会長はこの日夜、取材に応じた。「寒い中、申し訳ない」と口を開いてから「今日は園田監督には会っていませんが、本人の気持ちが一番大事だし(彼は)慰留もされましたけど、ケジメとして決めたことですから」と、全柔連のトップとして受け入れる意思を示した。30日には「園田監督は代えない」と会見したが、本人からの強い意向を考慮して翻意した。

 女子日本代表の欧州遠征は、既に一部選手が渡欧しており、2月下旬まで続く。指揮官不在になるが「すぐに次の人選というわけには時間的にはいきません。監督代行というような形を取りたい。明日話し合うが、今のコーチからになると思います」と見通しを示した。

 ロンドン五輪の大惨敗を受け、リオ五輪での巻き返しを誓っていた。その出ばなをくじく大きなスキャンダル。理事報告会を終えたJOCの竹田会長は「本人が今回の過ちを認めた。全柔連として、選手の戸惑いのない強化策をスタートをさせてもらいたい」と、注文をつけた。その会議の中でJOCの強化本部長を辞任した上村会長。「選手との信頼関係ができなかったことは本人も反省している。私も肝に銘じて柔道界の発展に頑張っていきたい」と、トップとしての責任を痛感していた。

 ◆園田監督の暴力発覚経緯

 10年8月~12年2月の間に5件の暴力行為とパワハラ行為の事実が判明し、ロンドン五輪後の昨年9月に全柔連がそれを把握。10月に園田監督と当該選手の聞き取り調査が行われた。11月5日に続投を発表し、同10日に厳重注意処分が科された。だが、12月4日に代表選手ら15人が連名で、日本オリンピック委員会(JOC)に暴力行為などを告発するに至り、JOC女性スポーツ専門部会にメールで体制見直しを求めた。全柔連は1月19日に監督以下6人に戒告処分。だが、27日までに計9選手が再びJOCに出向き被害を訴えるなどし、29日に一連の経過が明らかになり、大問題に発展した。