1968年に立候補制度になって以来、九重親方(元横綱千代の富士)が最少の7票で当選した。ある親方によると、所属する高砂一門と連携していた時津風一門の一部の親方が、貴乃花親方(元横綱)支持に回ったため、票集めに苦戦。友綱親方を1票差でかわす薄氷の当選となった。

 これまでの最少当選票数は、理事選挙で初めて投票が実施された98年の先代高田川親方(元大関前の山)の8票。