今季まで日本ハムで捕手兼バッテリーコーチを務めた鶴岡慎也氏(40)が12月13日に現役引退を表明した。鶴岡氏が札幌ドームで引退会見に臨んでいたその日、日本ハムの2軍本拠地である千葉・鎌ケ谷で引退を惜しんでいたのが国際グループ兼広報を務める榎下陽大氏(33)だ。「同じ鹿児島の先輩ですから」と、鶴岡氏とは同郷。電話で感謝の思いを伝えた時に、最初に言われたのが「おやっとさぁ」。2人での会話は自然と鹿児島弁になる。「お疲れさまって意味なんですけど、電話した時も『おやっとさぁ』って1発目に。ツルさんは、ずっと変わらないです」。

榎下氏と言えば、今季限りで現役引退した斎藤佑樹氏(33)と同期入団の「佑ちゃん世代」右腕。鹿児島工時代は06年夏の甲子園で早実と準決勝で対戦。斎藤氏とエース同士で投げ合い、その後は九産大を経て日本ハムでは11年から17年まで現役を続けた。ルーキーイヤーの11年に鶴岡氏と出会い、同年7月26日オリックス戦(帯広)でプロ初登板の時に「ツルさんがキャッチャーでした」。

緊張のデビュー戦で、少しだけ後悔していることがあるという。1イニングを投げて2安打1失点とほろ苦い結果。詳細な場面は覚えていないそうだが、カウント2-1からスライダーのサインが出たという。「スライダーはほとんど試合で投げたことがなかった。そこで首を縦に振ってしまったのをちょっと後悔している。あそこは自分で自信を持って真っすぐか何か。ここでスライダーかぁって投げてしまった。首を振れなかったのは僕の責任。(鶴岡氏は)覚えてないですよ、絶対。僕のプロ初登板で組んだのがツルさんだって知らないと思う」。

鶴岡氏がソフトバンクに在籍していた時は対戦もした。16年5月4日の札幌ドームでの試合は延長12回までもつれた。榎下氏は10回から登板し、3イニングを投げ切って無失点。チームの負けを消した力投の中で2度、鶴岡氏と相対した。「確か最後(12回)の打者がツルさんだった。ラッキーって思ったんですよ。その前(11回)の打席でヒットを打たれたんですけどポーンと当てただけみたいなヒットだったので、これはいける、次はないだろうと思って」。ニヤリとしながら「最後はライトフライに抑えました」。

知られざる“鹿児島ナイト”も思い出深い。13年8月6日西武戦(西武ドーム)は13-1で大勝。先発した木佐貫洋氏(現巨人スカウト)が8回1失点と好投、バッテリー組んだ鶴岡氏は3安打1打点と打撃でも活躍した。さらに6番左翼でスタメン出場した赤田将吾氏(現西武2軍外野守備走塁コーチ)は4安打、途中出場の飯山裕志氏(現日本ハム2軍内野守備走塁コーチ)も二塁打を放った。そして榎下氏は9回に登板し、勝利を締めくくった。全員が鹿児島県人。「ホームゲームだったら鹿児島県人5人がお立ち台だったけど、ビジターだからできなかったんです」。

1人だけヒーローインタビューに登場した木佐貫氏は「これから県人会で祝勝会です」というコメントを残したが、実際に5人が集まって勝利の美酒を酌み交わしたという。榎下氏の記憶では「幻のお立ち台。木佐貫さんも最後まで投げたかったみたいですけど、9回に榎下が投げるとなって、じゃあ変わります、と。他の投手だったら続投したいって言っていたみたいです。郷土愛強いですね、やっぱり鹿児島は」。

鶴岡氏の引退で、当時の5人全員がユニホームを脱いだ。榎下氏は「みんな引退してしまいました。さみしいですね。鹿児島県人会。コロナが落ち着いたら、また5人でやりたいですね」。先輩後輩問わず、慕われた鶴岡氏だからこそ、周囲から語られるエピソードも心温まるものばかりだ。【日本ハム担当=木下大輔】

日本ハム名護春季キャンプ紅白戦 1回3失点でうつむく榎下(左)は鶴岡に声を掛けられる(2011年2月19日撮影)
日本ハム名護春季キャンプ紅白戦 1回3失点でうつむく榎下(左)は鶴岡に声を掛けられる(2011年2月19日撮影)