<オリオールズ8-0インディアンス>◇2015年6月28日◇オリオールパーク

これまで、レジェンドと呼ばれるような名選手の歴史的な偉業や節目の大記録に、幾度か立ち会う機会があった。その一方で、個人的に直感めいたものは、できる限り、大切にしたいとも感じてきた。

「村田メジャー昇格」

その一報を耳にした際、是が非でも見届けたいと感じた。

15年6月28日。インディアンス傘下の3Aコロンバスに所属していた村田透投手(現日本ハム)のメジャー緊急昇格が決まった。前日27日のオリオールズ戦が雨天中止となり、翌日にダブルヘッダーが組み込まれることになった。通常のベンチ入り25人枠が26人に増える措置となり、そこまでマイナーで安定した成績を残していた村田が昇格。第2試合に先発することが決まった。

その前日。テキサス州ヒューストンでヤンキース田中将大の登板をカバーしていた。その一報が届いたのが試合前だったか、試合中だったかは、定かではない。「村田昇格」を耳にした際、即座に当初予定していた次の遠征地への移動予定をキャンセルし、ボルティモア行きの航空便と宿泊地を手配した。その間、日米間の時差もあり、上司への判断をあおいだ記憶はない。行かない、という選択はなかった。

村田は07年、大体大からドラフト1位で巨人へ入団した。その後は期待通りの活躍ができず、10年オフに戦力外通告を受けた。ただ、不完全燃焼の思いは消えなかった。その後、合同トライアウトに挑み、興味を示したインディアンスとマイナー契約を結んだ。

松坂大輔(現西武)がインディアンスに移籍した13年、キャンプ地のアリゾナ州グッドイヤーであいさつを交わしたものの、村田本人が記憶しているとも思えない。ただ、そんな個人的な事情は関係ない。「メジャー初登板」を見届けることは、米国に滞在するメディアとして、欠かすことのできない使命のように感じた。と同時に、ひとつの夢をかなえた際の、野球人の肉声を聞きたかった。

結果にかかわらず、試合後に再びマイナーへ戻ることは、村田本人も含め誰もが承知していた。

成績は、3回1/3を4安打5失点。敗戦投手となったものの、降板後はすがすがしい笑顔で初舞台を振り返った。「自分でもここに立てたのはビックリしています。でも、やって来て良かったなと思います」。試合後には、フランコナ監督から握手でねぎらわれ、メジャー初球、初奪三振球、公式スタメン表などを受け取った。

16年に日本ハム入りした村田は翌17年、古巣巨人との交流戦でプロ初勝利を挙げた。華やかなプロ球界とはいえ、だれもがスター街道を歩むわけではない。ただ、目の前のできることをコツコツと繰り返している人には、いつかご褒美が来る。村田の最初で最後のメジャー登板は、間違いなく偉業だった。(敬称略)【四竈衛】