7月23日の綾部戦。京都共栄学園・三木慶太投手(3年)は、高校生活最初で最後の公式戦マウンドに上がった。7回2死一塁。7回制の京都独自大会で、初戦突破を決める最後の1アウトが託された。「想像以上に緊張しました」。変化球はベースの手前ではずみ、ストライクがなかなか入らない。2つの四球を与え、暴投で2死満塁。「いつも通りや! 置きに行くな!」「心や心!」。内野からナインのたくさんの声が飛んだ。3人目の打者と向き合い、最後は変化球で左飛に打ち取った。

7月、綾部戦で公式戦初登板を果たした京都共栄学園・三木
7月、綾部戦で公式戦初登板を果たした京都共栄学園・三木

「1アウトが、もう長く感じました」と笑って振り返った神前俊彦監督(64)は、三木が入学した当時のことを今でも覚えている。4月中旬を過ぎた頃、新入部員の中で最後にやってきた。「自分は5年前の花火大会で全身やけどをしています。それでも、野球部に入部してもいいですか?」。小学5年生だった13年、三木は家族と行った京都・福知山市の花火大会で爆発事故に巻き込まれた。大パニックの中で大やけどを負った。皮膚移植を繰り返し、入院生活は約半年間に及んだ。

入部を迷う三木の背中を、神前監督は迷わず押した。「自分がやろうと思うなら、ぜひやってください。乗り越えて頑張っていることが、他の人に勇気を与えるんだから」。やけどの傷痕は今でも残るが、もう隠すことはない。汗が出にくいため、夏場の体温調節の水分補給にもしっかり気を配る。誰もが応援したくなる真面目な姿勢で、練習に取り組み続けた。

ある時、三木の入院当時を知る看護師がグラウンドを訪れた。運び込まれた時は、両目以外の全身に包帯が巻かれた状態。病院では三木がピンク色の阪神のユニホームを着て、みんなで野球ごっこをしたこともある。「ここまで大きくなって…」。元気にプレーする姿を見て、看護師は涙を流していた。

「いろんな人に助けてもらった。その人たちにまた恩返しができるように」。三木が抱いてきた思いだ。初戦の前日、地元紙のネット記事に寄せられたコメントを、神前監督から渡された。勇気をもらいました-。そこには、応援メッセージがずらりと並んでいた。「最後まで精いっぱい頑張って、見てもらった人に勇気を与えたい」。自らに使命を課して挑んだ最後の夏。京都共栄学園は8月2日、大会の最終戦となるブロック決勝を制した。たくさんのアウトを積み重ね、たどり着いた優勝。あの日の「1アウト」もその1つだ。【磯綾乃】