原の再来だ! センバツ4強の東海大相模(北神奈川)のスーパー1年生、西川僚祐外野手が「4番左翼」で公式戦初先発し、3回の第2打席で左翼場外へ推定飛距離120メートルの特大の3ランを放った。中学時代には全国制覇を成し遂げた186センチ、94キロのスラッガーが、3年ぶり3度目の夏制覇を狙う名門をけん引する。

 衝撃のスタメンデビューだった。2-0の3回裏1死一、二塁。フルカウントからの内角球を捉えた打球は大きな放物線を描き、場外へと消えた。4球目を空振りして2-2と追い込まれた西川は「力を抜いて最低限の仕事をしよう」と、コンパクトなスイングを意識。最高の結果で応えた1年生はベンチでもみくちゃにされた。

 7歳上の兄航平さんにあこがれ、野球を始めた。兄は高崎健康福祉大高崎へ進学。甲子園でのベンチ入りはかなわなかったが、小学生の西川もスタンドで一緒に応援。「甲子園に行きたい」と強く思うようになった。中学では兄の助言もあり、佐倉シニアに入部。主将も務め、昨年8月には全国制覇を成し遂げた。「高校でも全国優勝を狙えるチームに行きたい」と、今度は自分で東海大相模への入学を決めた。

 186センチ、94キロ。よく食べる子供だった。お菓子やアイスなど甘いものが大好きで、母聖子さん(50)がアイスを1箱買ってくると、1、2時間で全部を食べていたこともあった。スタンドから見守った聖子さんは「小さいころから好きなだけ食べさせていました」と自慢の息子の活躍に目を細めた。

 14日、厚木東との初戦(2回戦)では9点リードの5回裏1死二、三塁から代打で登場したが、敬遠。大物感を漂わせた。6月から調子の上がってきた1年生4番を満を持して起用した門馬敬治監督(48)は「1人の打者として4番に置いている」という。この試合もプロ注目の森下翔太外野手(3年)を2番起用。「あくまで1~3番のつながり」とけむに巻くが、西川がいるからこそ主砲を攻撃的2番に置ける。森下も「1年生なのに堂々としていて貫禄がある。後ろにいると自分もつなぐ打撃ができる」と実力を認める。

 OBで前巨人監督の原辰徳氏は高校1年から主軸を担ったが、1年夏の公式戦は本塁打0だった。公式戦2戦目で「原超え」の領域に達した怪物ルーキー。寮生活のため、家族に会ったのは入学してから1度だけ。普段メールのやりとりだけだという。次に会うときは、原氏も成し遂げられなかった全国制覇を果たし、新たな伝説を作ったときだ。【松熊洋介】

<西川僚祐(にしかわ・りょうすけ)アラカルト>

 ◆生年月日 2002年(平14)4月19日生まれ

 ◆出身 千葉県船橋市

 ◆球歴 古和釜小1年時に薬円台リトルスターで7つ上の兄航平さん(22)の影響で野球を始める

 ◆全国V 古和釜中時代は佐倉シニアに所属。中3時には主将としてジャイアンツカップで全国制覇

 ◆身長・体重 186センチ、94キロ。右投げ右打ち

 ◆好きな食べ物 すし、菓子、アイス

 ◆あこがれの選手 ソフトバンク柳田。長打力もありながら打率も高く、打点も多い

 ▼主な1年生夏 74年原辰徳(東海大相模)は神奈川大会6試合で4番と5番を3試合ずつ打ったが、本塁打はなかった。83年清原和博(PL学園)は大阪大会、90年松井秀喜(星稜)は石川大会でそれぞれ2本塁打。89年には中村豊(上宮)が9番打者ながら大阪大会3本塁打。07年には筒香嘉智(横浜)が、4番に座った初戦の神田戦で4回に本塁打。16年には野村大樹(早実)が西東京大会初戦から2試合連発。万波中正(横浜)は3回戦の松陽戦で横浜スタジアムのスコアボード下を直撃する135メートル弾を放った。