南海時代に選手兼任監督だった野村氏と一緒に戦った元4番の門田博光氏(71)も、ショックを隠せなかった。通院中の兵庫県内の病院のテレビ速報で訃報を知り、その死を悼んだ。

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私が入団1年目だった1970年(昭45)、大阪球場での巨人とのオープン戦でのできごとです。野村さんに呼ばれたので行ってみると、王貞治さんもおられました。当時の私は、大振りを繰り返していました。

監督に頼まれた王さんは「ヒットを打ちにいくんだ。その延長がホームランになるんだよ」と助言を下さいました。若かった私は、天下の名選手2人に向かい「そんなはずはありません。監督も王さんも、本当はホームランを狙っておられるでしょう」と言い返しました。あきれ果てた2人のお顔は、今も忘れられません。

この一件もあったからか、私は野村さんに本当によく怒鳴られました。阪急の下手投げ、山田久志投手にアッパースイングをしていると、次打者席から「上からかぶせんかい!」と声が飛んだものです。それでも私は、野村さんをひそかに最高の手本としていたのです。大阪球場のベンチ裏で、右打者の野村さんが鏡の前で素振りをする。するとその姿は、左打者として映る。参考にして練習を重ねました。

そんな間柄でしたが、最後には親しみを込めて「とことん打撃を追究する門田ほどの野球バカは、もう二度と出てこんやろうなあ」と認めてくださいました。昨年東京でのある会合でお会いしたとき、車椅子に乗っておられて驚いたのを覚えています。お疲れさまでした、とお伝えしたいです。