<中日4-2DeNA>◇1日◇ナゴヤドーム

 中日谷繁元信兼任監督(43)が史上18人目となる通算250犠打をマークした。

 2回無死一、二塁の場面でモスコーソから投前バントを決め、続く三ツ俣の先制犠飛につなげた。プロ初犠打は大洋(現DeNA)時代の89年7月1日の中日12回戦で郭源治から。谷繁監督は「犠牲バントというように、1番チームのためになる作戦。(若手)選手もバントの大切さを分かってくれればいいですが」と重要性を説いた。