日本が再びチェコと対戦する。前回大会では本戦初出場だったチェコと1次ラウンド3戦目で対戦。初回に遊撃手・中野拓夢内野手の悪送球による失策で先制されたが、3回に吉田正尚外野手の左翼へ適時二塁打で逆転に成功。その後も打線の勢いは止まらず。10-2で白星を飾っていた。

日本の先発は佐々木朗希投手が3回2/3を投げ、2安打1失点。死球を与えたものの、右腕は相手選手に当時の所属球団のお菓子を通じて“和解”していた。この対戦をきっかけに2国間での交流が活発化。

両国の野球を通じた温かい交流は、以下の通り。

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◆23年3月11日 日本戦を終えた後のチェコのスポーツマンシップに称賛の声が集まった。試合終了後、チェコナインはベンチ前で侍ジャパンに視線を向け、日本の勝利を祝福するよう拍手を送った。スタンドにも視線を向けて、ファンにも拍手を続けた。

◆23年3月13日<1> チェコ戦でウィリー・エスカラ内野手の左膝に、当時侍ジャパンの佐々木朗希投手の162キロの死球が直撃。佐々木はおわびの意味も込めて、エスカラに「コアラのマーチ」「パイの実」をプレゼント。佐々木はインスタに和解の2ショット写真を掲載。エスカラは「ありがとう朗希!残りのトーナメントで日本の幸運を祈ってるよ!」と投稿。同内野手のストーリーズには「Samurai Spirit」と投稿された。

◆23年3月13日<2> チェコは最終戦のオーストラリア戦をもって1次ラウンド敗退。試合後の会見でパペル・ハジム監督は日の丸に「必勝」と書かれた鉢巻きを頭に巻いて登場した。「6回まではオーストラリアに互角だった。信じられない。鉢巻きは、日本がどれだけ支援してくれたかの気持ちの表れ。3年後に日本に戻ってくることを夢見ている」

◆23年3月17日 米フロリダ州マイアミのホテルに到着した侍ジャパン大谷翔平投手が、チェコ代表のマークと国旗が入ったキャップを、つばを後ろにしてかぶって米国入り。この映像にチェコ野球協会は「さりげなく #baseballczech 帽子をかぶって準決勝のためにアメリカに到着!大変光栄です!」と投稿し感謝を表した。大谷はチェコ戦後、自身のインスタグラムのストーリーズにチェコ代表の写真に「Respect」と投稿。チェコ側もこの投稿に感銘を受け、侍ジャパン側に連絡。14日の練習後、日本戦に先発したサトリアを筆頭にミナリク、スモラらが東京ドームを訪問。チェコ代表全員のサインが入った背番号48のユニホームなどを手渡し、心温まる交流をしていた。

◆23年5月2日 チェコ野球協会は日本の野球ファンにXで感謝の意を投稿した。WBC大会中のサポートや大会終了後に多くプレゼントと手紙、和菓子の袋、ラバーブレスレットなどを受け取った。

◆23年9月21日 同年WBC日本代表を率いた栗山英樹氏がチェコ野球の名誉アンバサダーに就任

◆24年11月8日 「ラグザス 侍ジャパンシリーズ2024 日本VSチェコ」(9、10日=バンテリンドーム)の前日会見で、パベル・ハジム監督は初出場した23年のWBCを機に、同国で野球の認知度は上昇したことを明言。「ファンの数も増えて、子どもが野球を知るようになり、チェコで初めて野球の本が出版されました」と「ゲームより大きなもの」を報道陣に紹介した。

◆26年2月 WBC強化試合のため来日。ユニホームにはカタカナで「チェコ」と記されたデザインが採用された。

◆26年3月7日 東京ドームでの台湾戦を前に、チェコ野球の名誉アンバサダー・栗山英樹氏が王貞治氏とともにチェコを激励。王氏は過去にハンク・アーロン氏と共同で「世界少年野球大会」を開催。チェコ代表のチェルベンカ、チェルビンカ、ゼレンカの3選手は、少年時代に出場経験がある。03年に山口での世界少年野球大会で会っていた主砲チェルベンカは「王さんの名前は野球界にいる者なら誰でも知っている。野球では小国のチェコの選手としてはスペシャルな瞬間になった」と振り返った。ハジム監督は、背番号を89にした理由に、89年が革命が起きた年であることに加えて、栗山氏の影響を挙げた。「昨年もプラハに来てくれた。私たちの野球界に多くのものをもたらしてくれた」と感謝。日本代表で89番は、06年の第1回大会で王監督が着用していた。

◇チェコ共和国 1993年、共産主義国家だったチェコスロバキアが革命により解体され、チェコとスロバキアに分かれて独立した。首都はプラハ。面積は7万8866平方キロメートルで、人口は約1090万人。公用語はチェコ語。自動車産業や観光業などが主要で、ビールやボヘミアングラスが名産。スポーツはアイスホッケー、サッカー、野球などが人気。23年からペトル・パベル大統領。

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