2019年1月。僕は年俸120円で横浜市本牧に拠点を置くJリーグクラブ「Y.S.C.C.横浜」(以下YS横浜)とJリーガー2年目の契約を結んだ。
YS横浜はJリーグの中で3部にあたるJ3に所属している。2023年8月。ヴィッセル神戸や浦和レッズで活躍し、2019年に引退した那須大亮選手がJ3グルージャ岩手に1週間の期間限定加入の発表があった。その週の週末に行われた試合に後半途中交代で出場。僕が持っていた41歳1カ月9日のJ3初出場最年長記録を更新する、41歳10カ月9日で出場を果たした。日刊スポーツの担当記者に言われるまで全く気がつかなった。
改めて考えると、おっさんたちが必死に頑張っている泥臭い記録である。なでしこジャパンがワールドカップで敗退し、その闘いぶりに称賛の声が上がっているが、スウェーデン戦を見る限りは確実な差があり称賛されるものは何もない。その結果、WEリーグは確実な低迷を余儀なくされる。これはFリーグも同じだが、今いるファンの中で盛り上がっているだけで、選手が街を歩いていてもきっと気が付かないだろう。
これは僕が主戦場とさせてもらっているRISEのファイターたちも同じだ。ごく一部の人から「すごいですね」「応援しています」「握手してください」という言葉をもらっているが、それはほんの一握りの中から絞り出された声なのだ。そこをわからず、何も努力をしなければいつか衰退の日は来る。
それはJリーグも同じ。これだけ有望な選手が海外に出てしまえば、Jリーグを見るより、ヨーロッパリーグを見た方が面白い。日本代表として活動する時まで国内は静まり返ってしまう。そういった状況を考えると那須大亮さんが取った行動は純粋に称賛されていいはずだ。
メディアに取り上げてもらえないJ3クラブが、那須大亮さんの加入により多くの記事で目にされることになった。賛否あるようだが、間違いなく大事なエンターテインメントを見せてくれたと思う。
ただ問題は、その1週間で那須大亮さんが出場したという事実だけが残り、いいも悪いも注目をされた中で、グルージャ岩手が何もしなかったことだ。これは僕が水戸ホーリーホックに加入した当時と同じだ。
加入するタイミングと出場するタイミングは間違いなく記者が記事にしたがる。そのタイミングでクラブの中でずっと継続的にやってきたが陽の目を浴びないものや、これから着手したいものを同時に発表することはできたはずだ。それを那須大亮さんや僕の口からコメントとして言わすこともできたはず。
このブランディングという視点、もっと言えばプロデュースをするという視点が今のJ3には足りてないのではないかと僕は思っている。J1に関してはある程度のサポーターとファンがいるが、J2、J3に関してはサポーターやファンを増やすきっかけが勝敗だけになってしまっている。川崎フロンターレのように地域を巻き込み、選手が足を運び、楽しくなるような仕掛けがあるのに、なぜか他のクラブはそれをやらない。
いや、やっているのだろう。しかしそれをニュースにしたり、それをきっかけにもうひとつ別なことを伝えるという視点は皆無である。J3ともなるとそれは特に厳しい。広報担当がマネジャー業務をすることもあるだろうし、集客と採用を同じ人がやっているところもあるだろう。
僕が水戸ホーリーホックで活動している時には、クラウドファンディングやSNSでの投稿など全てにおいてダメ出しをされた。それが気がつけば、クラウドファンディングするクラブにまでなっていた。
僕はこのやったことのないことや、何となくやめておいた方がいいという根拠のない禁止事項を早くなくすべきだと思う。否定をすればいざその流れが時を経てやってきた時に自分たちは手を出せなくなる。
那須大亮さんの選手復帰には大きな意味があった。
しかし、ものすごく勿体無いことを岩手はしてしまった。一時的な釣り記事ではなく、なぜこの人が復帰をしてどんな未来を見せたかったのか。そこを示さなければ意味がない。
例えば、水戸ホーリーホック時代にもっと推し進める企画として「中年の星」を全面に出し、40代を無料にしたり、新しく仕事を変える人を招待したり、そうすることで転職サービスを担う会社さんは興味を持ってくれたかもしれない。僕の使い方も多くあったはずだ。
こうやって「Jリーグ」という信頼度を使いながら、JリーグとJリーガーの価値を上げるためにさまざまな仕掛けを作り、どれが当たるかわからないからこそトライを繰り返す必要があるのだ。
僕はこれからサッカー界がいい方に向かうとは思えない。それはセカンドキャリア問題も含め、プロになったあとが見えない世界に誰が自分の子を入れたいと思えるのか。それでは「何も考えていない人」ばかりが集まる場所となり、“好きだから何でもやります精神”で疲弊していき業界の発展は乏しくなる。
もう1度、ちゃんと考えて真剣に議論をするべきだ。サッカー村の住人が集まって話し合っても、その村は発展しない。だから僕は自分にできるチャレンジをし続ける。
◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算2勝1分け1敗。175センチ(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)





