あなたが今、手にしている「経済的成功」を全て失ったとしたら、あなたの人生の第2章は何から始めますか?

お金も地位も肩書も、全て失ってしまったとしても、あなたの経験や知恵、勇気や度胸はあなたの手の中にしっかりと残っている。そして、愛する家族や親しい友人も、きっと全てを失ったあなたに変わらず接してくれるはず。だとしたら、あなたは何を失ったのだろう?あなたが失ったものの中身は、いったいなんだったのだろう?

あなたにとって、経済的成功によって満たされた「人生の箱」よりも、あなたが本当に持っている「人生の箱」はもっと大きくて、もっと広くて、もっと深い。

僕はJリーガーの時にも格闘家となった最近も同じ失敗をしている。Jリーガーになる前は自分の「人生の箱」の中で、自分のやるべきことが見えていた。Jリーガーになることがゴールなのではなく、目指すことに意味があった。それは挑戦をすることにワクワクすると同時に「何を仕掛けるか」ということにワクワクしていた。

20代の時はただただJリーガーになりたいだけ。そこには能力という箱の中でしか判断されない競争がある。だからトライアウトで失敗をしたんだ。

40代での挑戦は、自分の人生がベースだった。自分の「人生の箱」の中に、挑戦もJリーガーも全て入っていた。だからどれだけ誹謗(ひぼう)中傷されても全く気にも留めなかった。それは自らの人生にコミットしていたからだ。その結果、40歳でJリーガーになれた。

しかし、問題はなってからだった。自分の「人生の箱」の中にJリーガーがあるべきなのにもかかわらず、気がつけば、「Jリーガーの箱」の中に自分が入り込んでしまった。そうなれば答えはその箱の中にしない。

Jリーガーとは何か?監督が言うことが絶対で、チームメートの評価も気になる。どんどん「Jリーガーの箱」の中での自分が求められ始め、気がつけば、必死にJリーガーになろうとしていた。

「Jリーガーの箱」の中でJリーガーになれるならとっくになれてるはずだ。20代の時に目指した時点でなれているはずなんだ。なれなかった理由を真剣に考えず、他責にして自分にうそをつくとこういうことになる。

40歳で公言通りかなえた夢が、気がつけば悪夢に変わる毎日になるんだ。コーチングスタッフから若手が参加する2部練に出た方がいいと言われれば「はい」と答えて出る。その結果待っていたのはけがだ。これは自分自身の問題だが、根底には部活動がある。部活動の功罪に関してはまた時期を見てコラムにしてみようと思う。

Jリーガーになった時に決めたんだ。「俺はイニエスタやカズさん(三浦和良)と肩を並べる」と。当時の最高額年俸者がイニエスタ。そしてJリーガーで一番人気があり一般的にも知られているのはキングカズ。だからこの2人と肩を並べるために何をすればいいのかを考えていた。しかし「Jリーガーの箱」の中にいるうちは、そんな夢は一生かなわないし、そのための手段なんて思いつかない。

自分の「人生の箱」の中には、経験や知恵、度胸や勇気が入っている。それをフル活用して、自分にできることをやり切るべきなんだ。

僕はそう考えてからひとつのゴールにたどり着いた。それはこの人生の面白さだ。自分の人生の箱をもう1度しっかり可視化して、それを多くの人に知ってもらう。ここにひとつのゴールを見いだした。

その結果、テレビ朝日のゴールデンタイムでやっていた「激レアさんを連れてきた。」で60分の枠で取り上げてもらった。Jリーガーの安彦ではなく、安彦がJリーガーであり、そこには多くの人生観がある。

Jリーガーが僕の人生の箱の中のほんの一部なんだ。一部であることは間違いないが、全てではない。そこを勘違いすると自分を見失ってしまうことになる。

実はこれは格闘家になっても起きた現象。いくつか試合を重ねていくと、「格闘家は」「格闘家としては」というアドバイスが増えてくる。格闘界の常識はみたいな話もどんどんされる。全てがいらないアドバイスではないが、それを全てだと思えば、僕はまたあの時に戻ってしまう。だから僕は道場をやめてフリーになって、前代未聞のJリーグクラブ所属の選手になったんだ。

僕らは自分の人生が前提にあり、会社や所属先や肩書などは全て自分の「人生の箱」の中にある。あなたが「大きなものを失った・失うかもしれない」と感じた時、実際は、それは本当の「人生の箱」の中のたった一部でしかないということを忘れないでいてほしい。

あなたは絶対に「人生の大きな箱」の中にある絶対に中身が無くならない金庫の中に、もっと大きなものをしっかりと確保している。そこには失ったものよりも、もっともっと大きなものを手にできる「人生の箱」の余白がたくさん残っているのだから。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算3勝1分け2敗。175センチ

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

安彦考真
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