格闘技は自分を鼓舞する時に他人を蹴落とすような表現をする。これはある意味、反社会的だ。
僕が尊敬する経営者の方に言われた一言。この言葉に格闘家たちが考えるべき本質がある気がする。「格闘技は短期視点で人を興奮させる。人生を超えた長期視点にはならない」。
本当に強い人は「この力を見ろ」とはならない。リングに立つことは決して勇気ではないと改めて感じた気がする。
「強さ」と「勇気」は同義語ではない。その強さを履き違えてサイコパス的に人を興奮させることだけが格闘界の常識となっている現在。しかも、それが短期的であり、勇気の伴っていない強さの見せ合いになっている。本当にこのままでいいのだろうか?
人をあおることでしか、オーディエンスを興奮させられない格闘界。僕は競技を始めてまだ4年しかたっていない。そんな僕が言えることがあるのだろうかと葛藤しているが、大事なのは年数ではなく向き合い方だ。
弱い人間は自分を大きく見せる。それは動物が威嚇をするのと同じなのかもしれない。しかし、動物の場合はあくまでも生存本能であり、承認欲求ではない。ファンやフォロワー、スポンサー集めのために暴力的になったりはしないわけだ。そう思うと人間の弱さがハッキリと見える。
格闘技と暴力が一緒になる昨今。それは拳だけでなく、暴言も同じ。虚勢を張って自分を大きく見せる。そこには強さもなければ勇気もない。
では僕自身はどうか?決してリングに立つことが勇気あることとは思わない。
しかし、そのために徹底した準備をして、食生活からトレーニング、ストイックに自分を律していることが「強さ」だと言えると思っている。
格闘家が世界で一番強いのか?の質問に対して僕は「YES」とは言えない。本当に強い人は力や権力ではなく、弱さを受け入れて、その上で臆せず立ち向かい、人の役に立っている人だ。
勇気があるとは、自分の立場や状況を顧みず、誰かのために火中の栗を拾える人だ。今の格闘界はどんどんおかしな方向へと向かっている。そしてほとんどの格闘家がお金で動かされている。サッカー選手も格闘家も、競技でお金を稼ごうと思っている時点で向いていない。ごくわずかな一握りの人だけが稼げることはあっても、残る9割は稼げない。そもそも、お金を稼ぎたいならサッカー選手にも格闘家にもならない方がいいと思っている。
人を蹴落として、あおって稼いだお金で自分の気分がいいことだけをする。この悪循環を変えない限り、格闘家の価値は上がらない。僕はJリーガーになって、お金をクラブからもらうという前提を壊して自分にスポンサーをつけた。プロフェッショナルの在り方を問うた。
格闘家になって以降はアルバイトをしたことがない。もちろんファイトマネーで生活していこうとも思っていない。仕事をして社会に貢献することをベースにリングで自己表現している。しかも、その仕事は自分がやってきたことの延長上に自分なりのオリジナル商材を作って、人の役に立つ代わりとして対価をもらっている。
挑戦とは、歴史的文脈を外して、新たな文脈をつくること。挑戦者とは、王道にいる人が思いもつかない文脈をつくる人。僕は挑戦者だ。王道へのカウンターを食らわせてやる。だからこそ、王道を必死に生き抜いて、今ある格闘界の常識や固定観念をぶっ壊してやろうと思う。
◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算3勝1分け3敗。175センチ。
(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)



