マスクマンの先駆者の引退理由には、愛妻の逝去があった。スーパー・ストロング・マシン(年齢不詳)の引退記念興行が行われ、自身はセコンドを務めたメインの引退記念試合後に、引退セレモニーが開かれた。84年に新日マットに出現して以降、数々のユニットに参加しながら、ファンに愛され続けたヘビー級マスクマンに、惜しみない拍手が送られる中、ヒロ斉藤や垣原賢人、魔界倶楽部などの盟友たちも駆けつけた。

 暖かい声援を受けて最後のマイクを握ったマシンは「当時としてはかなり奇抜なデザインのマスクとコスチューム。いまじゃあ、なんのことはないんですけど、あるマスコミからも批判されました。でもリング上ではストロングスタイルを貫きました」と自信をもって回顧した。

 引退理由について「ケジメ」と言った。重なるケガで受け身も取れない状態が決断の理由の1つとしたが、10カウントゴングは終わり、セレモニーの最後の最後に明かしたのは、家族のことだった。

 「これはマスコミの方々にも、ファンの皆様にも、伝えてないことがありました。もう1人、大事な人に、深い感謝の言葉を、この場を借りてささげたいと思います。本年、1月25日、午前7時12分、28年間連れ添ったわが妻マサミが、がんのために天国へ旅立ちました。この場を借りて、天国の妻へ感謝の言葉を、声を大にしてささげ、私のあいさつを締めさせていただきたいと思います」。

 そう言うと、マイクをマットに置いた。そして、レスラー最後の言葉として叫んだ。

 「マサミーーー! ありがとーーー!」

 会場は大きな拍手に包まれた。 

 84年に将軍KYワカマツ率いるマシン軍団の一員として新日マットに初見参。183センチ、115キロの大型マスクマンは前代未聞だった。翌85年にはマシン軍団と仲間割れし、藤波の試合後に乱入した末にワカマツを急襲。藤波を救うことになるが、その藤波から「お前、平田だろ!?」とまさかの暴露をされる記憶に残る事件もあった。

 その後は全日本をへて新日本に復帰し、IWGPタッグ王座を2度獲得。代名詞の魔神風車固めを武器に活躍を続けた。94年には蝶野正洋と仲たがいしてマスクを脱いたことも。00年に復帰し、14年の後楽園大会の6人タッグ戦が最後の試合となった。