ボクシング元WBA世界スーパーウエルター級王者の工藤政志氏(69)が、野田スターボクシングジムの会長を勇退した。日本ボクシングコミッションと東日本ボクシング協会に、4月14日付での退会を15日までに届け出た。

千葉・野田市にあるジムは入江司トレーナーが会長の座を引き継ぐ。コロナ禍の影響や名義変更などの運営資金を考慮。今後はプロではなくアマジムとして、キッズを中心に活動していくことになった。

工藤会長は異例の経歴を持つ、救世主と言える世界王者だった。秋田・五城目高時代にアマレスでインターハイ3位となり、自衛隊に入隊して五輪を目指した。プロレスラーとなるジャンボ鶴田を投げ飛ばしたこともあるが、72年のミュンヘン五輪では日本代表の座を逃した。

同じ自衛隊には、ボクシングでミュンヘン五輪代表となった後のロイヤル小林がいた。小林は五輪後にプロ転向すると、76年にWBC世界スーパーバンタム級王者となった。この存在に刺激を受けて、工藤会長もボクシングに転向。全日本社会人選手権を制すると、73年に除隊して、プロに転向した。

4連続KOで全日本ミドル級新人王となり、日本同級王座は8度防衛した。78年に19戦(11KO)無敗の20戦目で世界初挑戦した。前年に輪島功一が敗れて引退した王者エディ・ガソ(ニカラグア)が相手。故郷秋田で迎え撃った。クリンチされる体力の消耗戦も、アマレス仕込みのスタミナで2-1の判定勝ち。当時の世界王者は具志堅用高1人と低迷も、日本人の世界挑戦17連敗も阻む殊勲の王座奪取だった。

V1戦は2-1、V2戦は2-0と3戦連続で僅差判定も、V3戦では13回KO勝ちした。79年に判定負けでV4に失敗。プロ初黒星だったがスッパリと引退した。

引退後は夫人の故郷の茨城に移り住み、建材店を起こした。工務店業務に手を広げた工藤建材として、家族で順調に経営しているという。会社が軌道に乗ると、最初は常陸大宮ジムとしてジムを開いていた。