新日本プロレスの東京ドーム大会は4日、5日に行われる。内藤哲也(39)は4日から登場、マイペースにヘビー級の頂点をうかがう。

内藤の21年は、うまく浮上できずに終わった。昨年1月4日、東京ドームのメインイベントに2冠王者(IWGPヘビー級、同インターコンチネンタル)として立ったが、同世代の飯伏に敗れてベルトを失うと、6月にSANADAとともに約11年ぶりに戴冠したタッグベルトも、初の防衛戦で失った。秋のG1クライマックスでは試合中に左膝を負傷し、約2カ月間の欠場。状態が良かっただけに、結果には不本意だった。

それでも、内藤に焦りはなかった。ケガによる欠場中も「休みを満喫できた。大好きな広島カープが3位に入るか入らないかという時期だったので、野球ばっかり見ていた」とリラックス。落ち着いてリハビリに励み、復帰直後のワールドタッグリーグでは優勝決定戦進出を最終戦まで争った。

強靱(きょうじん)なメンタルは、元より持ち合わせていたわけではない。数年前までは「ケガをすると焦りが出る。自分のことを忘れられてしまうんじゃないか。周りにおいていかれるんじゃないか」と思っていたこともあり、「常に周りの情報を入れていたし、会場にも行ったりしていた」。どちらかといえば神経質な性格だった。

そんな内藤を変えたのはメキシコでの出会いだった。15年5月、約4年ぶりとなった同国への遠征で現地のユニット、ロス・インゴベルナブレスに加入。メンバー、ラ・ソンブラやルーシュらとともに戦い、ファンの盛り上がりに関係なく自身がやりたいことをする、自由なプロレスを学んだ。「重要なことは自分が何をしたいかなんだ」と、周りの目を一切気にしなくなった。当時の仲間とは、現在もSNSを通してスペイン語で交流は続く。深い話はできないが「元気?」「誕生日おめでとう」など、言葉のやりとりが支えだ。「入場時に胸を2回たたく」のが7年続く内藤のルーティーン。「彼らとの絆を感じる」と、いつまでも頼もしい存在を身近に感じている。

21年1月「東京ドームのメインイベントにまた必ず帰ってくるから」と宣言した。責任感の強い内藤にとって、「必ず」は好きな言葉ではない。それでも、あえて使った。目標は22年に達せなかったが、今年1年で巻き返しを誓う思いは強い。「IWGP世界ヘビー級王座に思い入れは0。それでも東京ドームのメインイベントに戻るため、あのベルトを持っていなければならない」。22年のヘビー級ベルト戦線は、内藤を中心に回す。【勝部晃多】