大相撲の幕内で活躍する力士は、誰もが自分の型を持っている。それは一朝一夕で取得できるものではなく、長い時間をかけ、たゆまぬ努力を続けてきた結果だ。時には、ある出来事をきっかけに今の自分の型に目覚める時もある。小結大栄翔は突き押し相撲で、年初めとなる1月の初場所で初優勝。春場所も勝ち越しを決め、3場所連続勝ち越し中と存在感を示している。そんな大栄翔の、突き押し相撲の原点を探った。

相撲との出会いは小学1年の時だった。学校で配られた、地元・埼玉県朝霞市のちびっ子相撲開催のプリントを見て、何の気もなく友人と一緒に出場した。「勝った時がうれしかった。それに、たまたま優勝したんです」。優勝した喜びから地元の相撲クラブに入り、中学卒業まで基礎を学んだ。「高校に入るまでは特に型はなく、突いたりもするし、まわしを取ったりもするという感じで何でもやっていました」。

中学を卒業すると、強豪の埼玉栄高に進学した。相撲部の山田道紀監督からは、左四つを教わったという。「高校で一番力がついたのは左四つだった。山田先生の教えもあり、自分の中でもしっくりきていた」。大学には進学せず、追手風部屋に入門し、12年初場所で初土俵。入門当初は身長180センチ、体重131キロと決して大柄ではなかった。入門当初、師匠の追手風親方(元前頭大翔山)からは「そんなに背は高くないんだから四つでは通用しない。突き押しで勝負しろ」と言われたという。

しかし、左四つは高校の恩師の教えということもあり、すぐには突き押し相撲に転向することはできなかった。高校時代に磨いた左四つを武器に、序ノ口デビューとなった12年春場所では7戦全勝で優勝。その時に抱いた「左四つでもいけるかも」という思いは、序二段に上がった翌夏場所であっさりと打ち砕かれた。同場所の二番相撲、当時35歳だった白乃龍との一番。互いに左四つに組み、一気に寄り切ろうと思ったが、白乃龍の下手投げに屈した。

大栄翔 それが入門してから初めての黒星でした。相手は自分よりも体が大きかったし、プロには自分より四つで強い人がごまんといることを痛感した瞬間でした。それに当時はまだ18歳で自分なりに勢いを感じていただけに、だいぶ兄弟子の方に負けたのも悔しかった。この負けがきっかけとなり、突き押し相撲を磨くことを決心しました。

以降は、ひたすらに突き押し相撲を磨き続けたという。突き押し相撲が徐々に自分の型となり、20年初場所で新三役となる新小結になると、新関脇だった同年7月場所では11勝4敗と初めて三役としての勝ち越しを決めた。「新関脇で勝ち越したことで、自分の押し相撲に自身を持つことができるようになりましたし、120%の力を出せるようになりました」と自信を深めた。

入門してから9年の年月を掛けて磨き上げた突き押し相撲。「さらに極めて、まだまだ上の番付を目指したい」。現状に満足することなく、さらに磨きを掛けて番付も結果も追い求める。【佐々木隆史】