新横綱の照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が2場所ぶり5度目の優勝を果たした。1差で追走していた3敗の妙義龍が敗れたため、自身の取組を前に優勝が決定。結びの一番は大関正代を下し、13勝2敗で花を添えた。新横綱場所での優勝は1場所15日制が定着した1949年(昭24)夏場所年以降では5人目、優勝制度が制定された1909年(明42)以降では史上9人目の快挙となった。

独走ムードから一転、苦しんだ後半戦を乗り切った。今場所は初日から破竹の8連勝。新横綱の中日勝ち越しは1場所15日制以降では6人目の快挙だったが、9日目には大栄翔に初めての金星を献上。10日目、11日目は連勝したものの1分超の相撲となり、12日目には関脇明生に2敗目を喫した中で立て直した。

自身にとっては日本人となって初めての場所だった。場所前の8月4日に日本国籍の取得が官報で告示され、引退後に親方として協会に残る資格を得た。国籍変更を考え始めたのは、序二段まで番付が転がり落ちていたころだったという。「(前回大関だった)一番いいときはそういうのも考えたこともなかった。若かったもので。その中でどん底に落ちて、落ちたときでも支えてくれた方々と相談した」。決断を後押ししたのは、復活を支えた周囲への感謝。「新たに今、この自分の相撲人生の中で学んできたことをまた次に伝えていけるチャンス」と将来を描いてきた。

両膝のケガや病気に苦しんで大関から序二段まで番付を落としながら、不屈の精神で横綱昇進を射止めた。この日も両膝には厳重にテーピングを施した。明生に敗れた12日目の取組では、土俵下に落ちた際に左膝を気にするそぶりを見せるなど、試練が続いた中での賜杯獲得となった。

幕内優勝は今年3度目で通算5度目となり、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の優勝回数(4度)を超えた。初の年間最多勝獲得もすでに決定。令和初の横綱が、最高位の責任を果たした。

▽照ノ富士の師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士) 自分から攻めてまわしを引いて、今場所1番いい相撲に近かった。十分(新横綱の)責任を果たした。取りこぼしもあったけど結果は良かった。来場所もこの調子でいって欲しい。