霧馬山改め、新大関霧島が華々しく誕生した陰で、静かに関取復帰をかみしめる力士がいた。日本相撲協会は5月31日に名古屋場所の番付編成会議を開き、霧馬山の大関昇進とともに、新十両3人、再十両2人の昇進も発表。2年ぶりに十両に復帰した千代の海(30=九重)に話を聞いた。【取材・構成=佐々木一郎】

-再十両の吉報は、どのように届きましたか

朝、九重親方(元大関千代大海)から連絡が来て、「上がったよ」と。「よくやった」と言ってもらいました。うれしそうでした。その後、協会のツイッターでも確認して、安心しましたね。

-反響はありましたか

すごいありました。今、Netflixのサンクチュアリがはやっていて、それを見て興味を持ってくれる人も多いです。

-西幕下3枚目だった夏場所は1勝3敗から3連勝で勝ち越しました

1勝3敗から友風とやって、4番の中で一番いい相撲を取れた。これで流れをつかんだなと。(七番相撲は)周りの方が緊張していたと思います。実は、場所前に右手の甲と小指つなげているところを骨折しました。今場所は無理かなと思っていたんですけど…。ほぼぶっつけ本番でした。

-痛みに耐えながら勝ち越した

痛いですよ。場所が終わって病院に行ったら、骨がついた後にまた折れていると言われました。自分でもびっくりです。最初の方はテーピングで固めましたが、ガチガチで右手が使えなかったので、3敗目の後は外しました。負け越したら悔いが残るので。決断しなきゃと。(幕下)筆頭と十両はやっぱりすごい差ですから。

-幕下で過ごした約2年間、気持ちが切れることはありませんでしたか

気持ちは若干切れかけました。でも、根本は相撲が好きなんで。それだけですね。やめることは、相撲を取らないこと。それは嫌なんで。親方には35歳までやれと言われています。この間、千代栄さんが十両に上がったり、負けていられないなという気持ちもありましたし、いろいろ考えました。同期生(御嶽海、北勝富士、宇良ら)はどんどん上がっていく。彼らは、もとから一緒とは思っていないので、上がっていく様子を横目で見ていました。

-十両から落ちて、幕下では無給。どうやりくりしていましたか

ウチは妻が看護師で働いているっていうのもあるんですけど…。妻、両親、義理の両親もみんな「続けてほしい」と言ってくれました。やめられる方がつらい、見ていたいと。そのためなら協力すると。それに甘えさせてもらいました。

-4回目の十両昇進になります。過去3回と違いはありますか

最初落ちて戻った時、もう1回戻った時は、1、2場所、落ちても戻れると思っていた。十両じゃ通用しないけど、幕下では負けないと。でも幕下の下の方に落ちてから2年たちました。テレビで中継を見ていると「○場所前までは十両だった」と言われ、自分に勝った相手は「元十両に勝ちました。この子は力がついていますね」と比較対象にされる。こう言われてすごい嫌というわけじゃないけど、自分も上がっていく時はそういう人倒していったんだなと思っていました。今回は、新十両の時よりうれしいです。イケイケでいった新十両より、2年間いろいろ考えてからの再十両なので、一番うれしいです。

-同じ日に、同期の霧馬山が大関に昇進しました

ハグア(霧馬山の愛称)は毎場所、「いつ戻るの」って言ってくれました。自分が取組を終えて帰る時に、向こうが場所入りするんですよ。(霧馬山が)10番勝った後に「大関」って言ったら「まだ早い」と言われました。自分が勝ち越した時は「おめでとう」と言ってくれました。番付上がっても変わらずにいてくれる。いい男だと思います。教習所の時から(霧馬山は)10年後は大関だよねってみんなで言っていました。やったら分かりますから。

-今後の目標は

まだ自分も強くなる気でいるんですけど、ずっと関取でいたいですね。

-稽古のための白まわしはどうしていましたか

実家に送ってしまったので、新しく作り直そうかな。場所休みの間に買いにいって、作ろうかなと思います。

 

◆千代の海明太郎(ちよのうみ・めいたろう)本名・濱町明太郎。1993年(平5)1月11日、高知県生まれ。高知・宿毛高、日体大をへて、九重部屋に入門。2015年夏場所初土俵。2018年名古屋場所で新十両昇進。十両在位14場所で、最高位は十両8枚目。2021年4月29日に結婚。同年夏場所を最後に十両から陥落。左肘の手術を受けて休場するなど、西幕下43枚目から11場所かけて十両に復帰した。182センチ、136キロ。