関脇霧島(29=音羽山)は、前頭伯桜鵬に敗れて2敗目を喫し、優勝争いのトップタイから、1差で追う2番手グループに後退した。前日8日目に、横綱大の里を破って勢いに乗る伯桜鵬に、立ち合いで3度突っかけられた。4度目で成立したが、当たってすぐにいなすなど、やや積極性を欠き、最後も引きに乗じて突進を許し、押し出された。立ち合いで3度突っかけられたことには「僕もちょっと遅かった」という。4度目の立ち合いとなり、やりづらさがあったか問われると「でも、それを言うと言い訳になる。先に攻められ、バタバタしてしまった。また明日からやるしかない」と、淡々と話した。

前日8日目は、着けようとしていた化粧まわしが見当たらず、十両大青山の化粧まわしを借りて土俵入りする寸前だった。土俵入り1分前というギリギリで、部屋から化粧まわしが届き、ことなきを得た。このことについて、自身も現役時代に霧島の付け人を務めた経験のある、世話人の勇輝が内情を明かした。まず、当初の計画は以下の通り。

(1)霧島は8日目から新たな化粧まわしを着ける計画

(2)8日目昼に行われる新序出世披露のため、会場入りする新弟子の西村が、新たな化粧まわしを部屋から持っていく。

(3)西村は、7日目まで霧島が使用していた化粧まわしを着けて新序出世披露に臨み、それを部屋に持ち帰る。自身が部屋から持っていった新たな化粧まわしは、支度部屋の明け荷にしまっておく。

ところが、新たな化粧まわしを持って西村が会場入りすると、霧島の明け荷には、7日目まで着けていた化粧まわしはなかった。実は付け人の誰かが、前日7日目のうちに、部屋に持ち帰っていた。ここから混乱が生じ始めた。

勇輝は「誰が、どこまで聞いていたか分からないし、3人とも同年代、番付も同じぐらいで、付け人頭のような存在がいなかったので、誰もリーダーシップを取れていなかった。みんなが人ごとだった」と分析した。西村は、全体像を理解していたか不明で、とにかく“化粧まわしを部屋に持ち帰る”という意識が強かったのかもしれない。また、7日目に化粧まわしを持ち帰った兄弟子は、不慣れな初土俵の場所で、荷物が重くなると、弟弟子を思って先に持ち帰っていたのかもしれない。それぞれが、さまざまな理解、さまざまな気の使い合いで、混乱が生じた形だ。

勇輝は「化粧まわしは、1つ持ってきて、それと交換で持ち帰るのが原則。それを前倒しにするから、おかしなことになる。自分の知る限り、過去にも2度、同じように『化粧まわしがない』という“事件”があり、他の人のものを借りていました。今回は間に合ったからよかったですけど、気を付けてもらわないと」と、普段は温厚ながら、珍しく語気を荒らげて説明していた。

前日に「ミーティングですね」と、反省会の実施の必要性を話していた序二段光星竜は「ミーティング…。やりました。これだけ大変なことになるんだと、みんなで反省しました」と話した。この日の取組で、霧島は敗れたが、元気のない付け人たちを気遣うように、努めて元気に振る舞っていた。いわゆる“ホウレンソウ”、報告、連絡、相談。力士のほとんどが若い元横綱鶴竜が師匠の新興部屋にとっては、大きな勉強の1日となったようだ。