ジョニー・デップが、前妻アンバー・ハードを名誉毀損で訴えた裁判がバージニア州フェアファックス郡の裁判所で先月中旬から行われ、離婚前後の新たな詳細が次々と明かされ、そのショッキングな内容が連日メディアを賑わせています。

そもそも2人の離婚が成立したのは2017年で、なぜ今頃になってまた裁判で争っているのか不思議に思っている人も多いと思いますが、今回の裁判は18年にハードがワシントン・ポスト紙に自身は「DV(家庭内暴力)被害者」だと主張する記事を寄稿したことが発端となっています。

記事の中でデップからDVを受けたとは明言してはいないものの、これまでの経緯からそれがデップを指していることは歴然で、これまで一貫してDVを否定してきたデップが、ハードに対して5000万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしたのです。ハードもこれに対し、1億ドルを求める逆訴訟を起こしており、コロナ禍で延期されていた裁判が今ようやく始まったというわけです。しかも今回の裁判の模様は、裁判専門チャンネルで中継もされており、世間の注目を集めています。

これを機に出会いから結婚、そして破局、泥沼離婚裁判と世間を騒がせてきた2人の愛憎劇を改めて振り返り、時系列で2回にわたって2人の関係をまとめてみました。前半は出会いから破局までの約6年間を振り返ります。

ジョニー・デップ(左)とアンバー・ハード(15年撮影)
ジョニー・デップ(左)とアンバー・ハード(15年撮影)

■出会いは2011年公開の映画「ラム・ダイアリー」

デップ主演の「ラム・ダイアリー」のヒロイン役にハードが抜擢され、共演を果たしたことで2人は出会います。デップは当時まだ無名だったハードを一目見て気に入り、2人は撮影中に急接近したと言われています。

■デップは長年のパートナーと別れ、ハードと交際をスタート

「ラム・ダイアリー」のプロモーションで再会した2人は、そのまま盛り上がって交際に発展。バイセクシャルを公言しているハードは当時交際中だった女性写真家と破局し、一方のデップも14年間にわたるパートナーで、2人の子供の母親でもあるヴァネッサ・パラディとの破局を2012年に発表。デップとパラディは数年前から関係が悪化していたと伝えられるも、ハードの略奪愛が取り沙汰されました。

■23歳年下の若くて美しいハードにメロメロ

交際を始めたデップは、自由気ままに恋愛を楽しみたいハードの気持ちをつなぎ止めるため、豪華プレゼント攻撃をしていたことは有名。愛の巣となる牧場付きの家を1600万ドルで購入し、クリスマスには入江の形がハードの尻の形に似ているとの理由から、カリブ海のバハマ諸島に浮かぶ島をプレゼントしています。交際中は何度かオンとオフがあったとされる2人ですが、13年にはデップ主演の映画「ローン・レンジャー」のプロモーションにハードと2人の子供たちを同伴して来日しています。

■2014年1月に婚約

ハードがイベントで左手薬指に大きなダイヤの指輪をつけている姿がキャッチされ、婚約が発覚。3月にロサンゼルスで親しい友人や家族らを招いて婚約パーティーを開催したことも伝えられています。婚約指輪は当時、推定1000万円と報じられ、デップがその後その指輪を自らの指に付けている姿も目撃されて話題になりました。

■2015年2月に結婚

バハマのプライベートアイランドで挙式予定だった2人は、結婚を待ちきれずにその直前にロサンゼルスの自宅でフライング挙式を行ったことが話題になりました。その後は予定通りバハマを訪れ、2度目の結婚式も挙げています。ちなみに今回の裁判でデップは、結婚式当日にハードがMDMAと呼ばれる薬物を使用していたことを暴露しています。自身は大麻を使用したがMDMAは使っていないと話し、結婚式に娘のリリー=ローズが出席しなかったことについては、ハードと不仲で一緒にいるのが嫌だったからだとも明かして話題になりました。

■ラブラブな結婚生活は長続きせず

「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」(17年)の撮影のため訪れていたオーストラリアで、借りていた家でデップが指の先を切断する大けがを負ったのは、結婚からわずか1カ月ほどたった頃のこと。後にこの時、口論からデップがハードを殴るなど暴力を振るったことがハードの主張で明らかになり、アルコールと薬物でハイになったデップが自ら割れたガラス破片で指先を切ったと離婚裁判で主張していました。

しかし、今回の裁判では一転してハードが投げた酒の瓶が当たって指先が切断されたとデップが主張。「自分こそがDVの被害者」であると語り、切断された指先はキッチンでシェフが発見したことなど生々しい当時の状況も明かされました。また、翌年4月にはハードの30歳の誕生日パーティーに、デップが仕事の都合で大遅刻したことが原因で大喧嘩となり、いったん自宅を出て戻ったデップがベッドの上に排泄物を見つけたことなども後の裁判で明らかにされています。

■結婚生活はわずか1年3カ月で終わりに

2人はこの誕生日パーティーからほどなくして16年5月に破局し、ハードが「和解しがたい不和」を理由に離婚を申請。その後、ハードに対するDVでデップに接近禁止命令が下されるなど、ここから泥沼の離婚劇が始まります。ハードが離婚を申請したのは、デップの母が亡くなった3日後だったことも発覚し、離婚裁判へと突入します。

次週はその後の離婚裁判やDVを巡る主張の食い違いなど、今回の裁判でわかった新たな事実なども交えながら振り返っていきたいと思います。

【千歳香奈子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「ハリウッド直送便」)