乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



あってもなくてもいいものとか、

あるに越したことはないものって沢山ある。



特に片付けなんかをしてると、

今は使わないけどいつかは使うかもなとか



〇〇にも代用できるから一応取っておこうとか



明確な目的や用途がないにもかかわらず

捨てられないものでいっぱいだ。



新品のまま使われることなく、

なんとなく取っておこうの思いで

棚にしまわれ続け、それが繰り返される。



「もったいない」という気持ちが過度に働くと

片付けや断捨離に

支障をきたしてしまうのだとわかる。



あるに越したことはないものは

形のあるものに限った話ではない。



精神面でも、

持っておくに越したことはない気持ちが

沢山ある。



その中で、私が常日頃葛藤しているのが

「自信」だ。



自信も持つに越したことはないし、

それが人への押し付けにならなければ

きっと自分にとって良い影響にもなる。



だがそれは単純に考えた話で、

実際そうはいかない。



「自信持って」という言葉、

時に凄く苦だなと感じる。



これは自分も使ってしまう言葉だし、

相手を(もしくは自分を)励まそうという

100%善意から出るものであって、

そこに相手を苦しめようなんて思いは

微塵もない。



実際この言葉をかけてもらって

励みになることもあるし、

開き直って頑張ろうと前を向けることも多い。



でも、「持てと言われても持てないものは

持てないし、湧いてくるものもない」

みたいな気分のときはきっと誰だってあるし、

そういうときは善意の言葉を

かけさせてしまっていることにさえ

申し訳なさを感じる。



実績や経験、人から褒めてもらったことは

自信に直結すると思っているけど、

それは反復経験のあるものに関してであって、



初めて経験するものに関しての自信は

持てと言われても

どうにも無理だったりするのだ。



自分の得意なジャンルであっても、

「初」という文字に囚われてしまって

なかなか気楽に臨むことができない。



こういう時に限って

根拠のない自信が湧いてこないのは

脳内の計算が完全に間違っていると思うし、

精神衛生上本当にやめてほしいと思う。



個人の挑戦であれば、

自信が持てなくてもさほど困ることない。



問題なのは

「応援してくれている人がいる」

ところなのだ。



自信のなさを出すことで、既に期待を

裏切ってしまっているのではないか?

と応援と同じ熱量のテンションを

返せないことが申し訳ない。



かと言って、

本当に自信があろうとなかろうと

「自信あります」と言ってしまったら

失敗したときの不安だって拭えない。



自分のことを本気で信じて向き合い、

応援してくれている人がいる中、

保身に走って自信を持つことに

怖さを感じている自分がいる。



それが空元気であっても

安心してもらえる言葉を届けるべきか、

この怖さを正直に出してもいいのか、

ベストな選択がわからない。



あるに越したことはないとは言ったけれど、

私の自信が許容量を超える日は来るのか。



(ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」)